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教育基本法について、そもそも(3) [教育基本法]

さて、教育基本法を読むこの企画(というか私の作った小冊子の紹介ですが)、毎回少ししか書けませんので遅々として進みません。いつまでかかるのやら・・・という感じですが、気長に続けていきます。気が向いたらお付き合いください。

では今回は、いよいよ前文が終わって第一条(政府案では第一章となっています)から始めます。マスコミもさすがに取り上げた愛国心についての下りも第二条に出てきます。第二条はもともとは国(権力)が守るべきことがらだったのが、いつの間にか国民が身につけるべき徳目の羅列となって、基本法としての法の性格が逆転してます。「国民が国を規定する」→「国が国民に要求する」という逆転は、近代法とは言い難い前時代的なものだと思っています。

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47年法

第一条(教育の目的)
教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。

第二条(教育の方針
教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。

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現教育基本法

第一章 教育の目的及び理念
第一条(教育の目的)<「真理と正義」「個人の価値」「自主的精神などを削除。「必要な資質」追加>
教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

第二条(教育の目標)<方針→目標に変更。「国を愛する」態度などの細かな項目新設>
教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
1 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
2 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んじる態度を養うこと。
3 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
4 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
5 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

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こうして書いていても、第一条と第二条は頭がおかしくなりそうです。上にも書きましたが、47年法が教育とはこうあるべきという大枠を示していて、誰が守るか明示しておらず、突き詰めれば国が国民に約束したという性質が強いのに対して、現法は国が国民は「こうあるべきだ」「こうしなさい」と、「あるべき姿」を国民に「押しつけ」ているようです。

これでもかというように羅列されたマジックワードについては後にもいくつか触れていますが、ここでは一点だけ述べておきます。「心」を規定するのではなく「態度」だからましかというとそんなことは全然なくて、君が代不起立の裁判などで、「内心は自由であるが、態度は違反している」「規律に従った態度を求めることは内心を拘束するものではない」などというように、強制を正当化する「へりくつ」として利用されています。

つまり、「心では違うと思っていても、求められる態度を示しなさい」という面従腹背を裁判所自らが勧めているかたちとなっています。そんな人間を量産して、個人も社会も幸せになれるわけがないと思います。周りを見回してはずれないように、非難されないようにと、自分を押し込んで外に合わせる人間ができるだけではないでしょうか。私は自分はそういう生き方をしたくありませんし、子どもをそういう環境におくことは絶対にできません。

蛇足ですが、今回降って湧いたオリンピックでの服装問題の根っこにも、こういう集団規律重視の考え方があるように感じます。教育基本法が先か、こういう法律を生み出してしまった時代の空気が先か、それはわかりませんが、とにかく右へならえ、お上に言われた通り・・・という悪しき集団主義が蔓延することを懸念します。

抑圧されて育った人間は、自分より弱い人間を抑圧する側に回ってしまうことが多いと思います。乱暴な言い方をすれば(各項目をみれば悪いことばかりではないと思いますが)、いますぐにでも現法の第二条はすべて廃止して47年法に戻してほしいものです。

さらに第一条の「必要な資質」も個人のための教育が充実して社会へ還元するという考え方から、(いまの)社会に役立つ人間をとにかく作るという意図のようで、賛成できません。

書いているとさらにヒートアップしてきますので、このあたりにします(前にも書いたように、冊子後半の感想でこのあたりはもう一度触れます)。

<追記>本当の知性とは、既存の常識や規範をすべていったん白紙にして、自分自身の頭や身体、経験に基づき、さらに周囲の人や先人たちの知恵を加えながら、各人が構築していくものだと思います。決して現法第二条のように、何か決まったお手本のような規範があって、それを身につけるという性質ではないはずです。「本当の知性とは・・・」の文は私自身が10代から生きる方針として目指していることです(まだ道半ばですが)。それを放擲して言われるがままに既成や権威者の決めた規範や道徳に従うことは、私にとって自分の人生を放棄しろと命令されているに等しいです。



教育基本法について、そもそも(2) [教育基本法]

さて、連載というにはとても間が開いてしまい、気が抜けた飲み物のようになった感もありますが、この記事はやはり書いておかないと前へ進めません。時間がある時に少しずつでも続けていきます。

今回は、2006年に私が配布した冊子の資料部分に入ります。ここは要するに47年教育基本法と政府案(現法)とを上下に並べてそのまま比較しただけものですが、私が気になった言葉を太字にして(ブログでは赤字にします)、主な変更点を<>内に書きました(これも色文字にします)。

上下を読み比べると今でも、47年法の格式の高さに感心するとともに、政府案の教育に関する個の軽視・管理のための教育へという意図が見えてきて、唖然としてしまいます。

新旧教育基本法

まず前文を比較します。ところで、憲法以外で前文のある法律というのは教育基本法だけだと聞いたことがあります(間違っていたらご指摘ください)。その形式からも準憲法と呼ばれる所以でしょうか。

教育基本法
(昭和二十二年三月三十一日法律第二十五号)

 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確率するため、この法律を制定する。

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教育基本法(政府案)
教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)の全部を改正する

 我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
 我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
 ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り開く教育の基本を確立し、その進行を図るため、この法律を制定する。

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全文掲載後に意見をまとめてありますので、詳しくはその項の記事でふれるとして、47年法についてはとてもスラスラと頭に入ってきました。一方、政府案は冒頭の自画自賛からもうイヤな気配を感じてしまいます(たゆまぬ努力によって・・・)。文中にはマジックワード(shiraさんの言葉を拝借します)が多くて、うさんくさいです。「真理と平和」がさりげなく「真理と正義」に変えられています。自民党の好きな「伝統」も出てきています。「公共の精神」もあります。こうした、立場や考え方によって解釈や方向性の違ってくる言葉を出して、それを時の政治の都合の良いように定義づけて教育現場で実践させようということではないでしょうか。

諸事情で一度にたくさん書けませんので、小分けします。次回は第一条から書きます。



教育基本法について、そもそも(1) [教育基本法]

教育基本法をタイトルにつけ、こだわり続けているこのブログですが、教育基本法そのものについての記事は実はあまり多くありません。これはブログ開設の時期との関連があります。2006年夏、47年教育基本法と当時の政府案(現教育基本法)を読み比べて、政府案のあまりのひどさにびっくり仰天した私はにわかに戦闘モードになり、自分でもできることを模索しました。

その結果、「たった一人かい(会)」(←志村さんの「一人でもデモ」にあやかっていま命名しました)を結成して、通信を発行することを思いつきました。第1号は14ページの小冊子で、そもそもどんな法律なのか、政府案のどこに問題があるのか、どうして変えてはいけないと考えるか、素人なりに詳しくまとめました。当時動かせる限りのお金をかけて作成し、地域に2万部あまりポスティングしました。このころにはまだ、国会とは理性的な議論ができる場であり、二度の大戦の歴史も経てきた日本人は最後には知的な判断をするものだという素朴な信頼感がありました。

続いて第2号として名古屋大学教育学部の植田健男さんのインタビューをA3両面で作成し、これも2万部くらい今度は新聞の折り込みで配布しました。植田さんは現在は名大附属中高の校長先生をされていて、「こういう校長先生がいるならば子どもを通わせてもいいかな」と思うくらい素敵な方です。

このころの改正(改悪)反対運動の盛り上がりは全国的にたいへんなものでした。何日も続く国会での座り込み、ハンスト、公聴会や採決など節目の日には何千人もが国会を取り囲みました。しかし、マスコミはこうした動きをほぼ完全に無視して決して報道しませんでした。私は連日連夜、改正反対サイトの「あんころ」「教育基本法改正情報センター」のサイト、マスコミ報道を読み比べる日々でした。委員や議員、政党へもずいぶん電話、メール、ファックスで要請を続けました。こうしたなかで、マスコミ(テレビ、新聞)への不信が芽生え、次第に疑念から確信へと変わりました。そして、支持はしないものの一定の評価はしていた自民党に対しては全く不支持となりました。国会という場への信頼も非常に損なわれました。それはいまも基本的には同じです。

2006年12月15日、強行採決によって参議院でも政府案が可決され、新教育基本法が成立しました。その日は3年経ったいまでも忘れもしないのですが、先月のその日はPCの故障で修理に出していてブログにはアップできませんでした(日常もあわただしかったのですが)。

その後も個人的に反対の意志を生涯示し続けることを決意し、会の通信第3号を発行しました。A3両面で1万5000部くらいで新聞折り込みです。この時には一緒に活動してくれた仲間や現場の先生がとても良い文章を書いてくれたので、私は紹介文を書くにとどまりました。

そういうわけで、私の考え方のエッセンスは第1号の小冊子にまとめてあります。あとはその考えを前提として記事を書いてきました。ところが慣れない自費出版??に忙殺されてブログの開設まで手が回らず、通信第2号発行時にようやくブログを始めることができましたので、第1号は紹介できていません(ページ数が多いということもあります)。

そのため、このブログを途中から読まれた方や、長く読んでくださっても教育基本法に集中していなかった方にとっては、いまだに「教育基本法の何が悪いと管理人が考えているのか、いまひとつわからない」状態が続いているのではないかと思います。

改悪3周年、政権交代(私の観察では、いまの民主党は教育関係の幹部が替わりでもしない限り、教育基本法を変えることはしないとみていますが)という区切りを迎えて、ブログに紹介していなかった第1号小冊子の内容を書いてみようとしようと思います。いまだったらもう少し勉強が進んでいて違う表現をするだろう部分もありますが、基本的な考え方は全く変わっていません。

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新政権の文部科学関係の人事を懸念します(2) [教育基本法]

さて、文科省副大臣の鈴木寛氏について書きあぐねていたところ、いまさっきネットに次のような記事が出ました。

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鈴木寛副文部科学相は8日、文科省が小6と中3の全員を対象に実施してきた全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)を抽出調査に切り替える方向で調整していることを明らかにした。来年度予算の概算要求に向け、文科省が具体的な実施方法を検討する。(毎日新聞)
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・抽出調査にすることは賛成です。「過度に競争的」な日本の教育のなかで、さらに国お墨付きの悉皆の学力テストを続けることには特に意味を見いだせません(問題そのものはかなり練られたもののようですが)。市町村別成績の開示もこのところ問題になっています。費用対効果からみても抽出式で十分ではないでしょうか。
・このニュースを読んで、やはり新政権で教育行政の事実上の推進者は鈴木氏だろうという思いを強くしました。

さて鈴木氏について書こうと思って議事録等調べてみました。通産省(いまは経産省っていうのでしょうか)官僚から慶応大学環境情報学部助教授を経て、わずか当選2回で、選挙前の次の内閣では文部科学大臣ということだったというのですから、かなり腕が立つ方だと思います。

教育、医療を中心に活動されており、議事録には本当にたくさんの発言があります。一つにはその多さに圧倒されて、もう一つには私の主観なのですが、鈴木氏の立ち位置についてどう考えたらいいのかわかりづらく、なかなか記事にする勇気が出ませんでした。

もちろん安倍内閣の目指した「教育改革」よりは数段良いのですが、リベラルな私から見たら「ん?」という発言もかなりあります。ここは読者にみなさんに判断していただきたいと思います。

たくさんある発言のなかから多くの論点がまとまっているので(本音は少ないかもしれませんが)、2006年10月4日の安倍総理所信表明演説に対する代表質問を転載してみます(ご本人のホームページから)。この国会は忘れもしない、06年教育基本法が強行採決されてしまった国会です。

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新政権の文部科学関係の人事を懸念します(1) [教育基本法]

さて、子どものインフルエンザに続いて翻訳仕事などであわただしかった日々がようやく一段落しました。午後には週末帰宅の子どもの迎えがありますが、それまでは久々のフリータイムです。

さて、民主党政権に変わって、教育理念の変化はあるのかずっと考えてきました。以前の記事にも書きましたが、教育への予算増額、教員の免許更新制の廃止などの政策はもちろん支持しますが、根底にある教育観が変わるのか、変わるとすればどの方向に?というのが私の興味です。

それを予測するひとつの要素が、文科省関連の主要人事だと思います。文科大臣、副大臣、政務官について挙げておきます。

▽文部科学相 川端達夫(衆院)

▽副大臣
 中川 正春氏(なかがわ・まさはる)党財務相。米ジョージタウン大。三重2区。当選5回。59歳。

 鈴木 寛氏(すずき・かん)党副文部科学相。東大。参院東京。当選2回。45歳。

▽政務官
 後藤斎
 高井美穂





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タウンミーティング訴訟・大阪高裁で逆転勝訴 [教育基本法]

みなさん、覚えておられるでしょうか?教育基本法変更を巡って市民の意見を聞くという触れ込みで全国各地で行われたタウンミーティング。やらせ、動員、排除など各地での疑惑があったなかで、内閣府と市とのやり取りがメールなどで克明に残されていて、裁判までできたのが「京都タウンミーディング訴訟」です。

昨年12月、京都地裁での判決はまさかの原告の訴えの棄却。「これだけはっきりとした証拠がありながら・・・」と素人ながら絶句したものです。その訴訟の控訴審判決が今日、言い渡されました。私はすでに仕事が入っていたために行くことができず、多忙のため事前のブログでのお知らせもできていませんでした。

いま、帰宅してネットの朝日新聞を見ると、原告勝訴の報道がありました。原告は4人だったのですが、抽選から外されたという認定は3人ということで支払い金額もずいぶん少ないのですが、取りあえず良かったのでしょうか。

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タウンミーティングの不正抽選を認定 大阪高裁
2009年9月17日15時7分
 小泉政権下の05年11月、内閣府と京都市が共催したタウンミーティング(TM)をめぐり、主催者側の不正な抽選で参加を阻まれて精神的苦痛を受けたとして、同市の住民ら4人が国と市に慰謝料各200万円の賠償を求めた訴訟の控訴審判決が17日、大阪高裁であった。成田喜達(きたる)裁判長(亀田廣美裁判長代読)は、訴えを棄却した昨年12月の一審・京都地裁判決を変更。意図的に抽選から外されたと認定した3人に各5万円を支払うよう命じる原告逆転勝訴の判決を言い渡した。
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当時はかなり大きなニュースになったのですが、教育基本法は結局変えられ、勝訴の記事もこの小ささです。このTMの京都市側責任者だった教育長の門川大作氏は、いまや京都市長です(自公、民主・社民も支持)。腐敗した権力がしてしまったことをあとから修正することがどれだけ難しいか考えさせられます。私たちは事前からきちんと物事を見て、反対するべき時にはきっちりと声をあげるべきでしょう。ただし、その声をどうまとめるか、議会や政府に効果的に伝えるにはどうすればいいのかという方法を確立することは、日本がほんものの民主主義国家となるための大きな課題だと思います。

「タウンミーティング訴訟を支える会」から、9月初めに送っていただいていたお知らせを転載しておきます。
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●問われる憲法21条。今度こそ、勝利の判決を!
いよいよTM訴訟、控訴審判決!
9月17日(木)午後1時15分
大阪高裁 本館8F82号法廷

タウンミーティング不正国賠訴訟も、昨年12月の京都地裁の不当判決から1年、いよいよ大阪高裁の控訴審判決を迎えます。
あれだけの不正にもかかわらず、「国と京都市が原告らを排除した目的は不当だった」「TMに参加し、発言する憲法上の権利は認められない」と切り捨てた1審判決をなんとか覆したいものです。是非、判決言い渡しの傍聴においでください。判決後は、エル大阪で、判決文を検討する集会を開催します。
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判決文を原告の人々や弁護人がどう捉えたのか、ぜひ聞きたかったのですが・・・。またネットにアップされると思いますので見てみることにします。

京都タウンミーティング訴訟については私も数本の記事を書いています。so-net blogがたいへん重くてなかなか開けないので、取りあえずいろいろリンクの張ってあるこの記事を挙げておきます。
http://kokoro-no-jiyuu.blog.so-net.ne.jp/2008-07-09

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大内裕和さんの「民主党マニフェスト採点━教育政策分野」 [教育基本法]

教育基本法「改正」反対運動のときに活躍されていました松山大学の大内裕和さんが、民主党のマニフェスト分析で教育政策分野を担当して書いておられます。取り急ぎ、下記のアドレスを挙げておきます。

http://www.peoples-plan.org/jp/modules/article/index.php?content_id=26

多岐にわたっていますので、いま私が感想・意見をまとめることは難しいです。読んで感じたのは、確かに子ども手当、高校教育無償化(私立は不十分ですが)、奨学金制度の充実など、困窮する国民生活に目配りした項目は評価できると思います。しかし、その根っこにある「教育とは何か?」という問いについてはまだ見えてきません。

金銭的にはある程度充実させるけれど、基本は自民党の管理主義、国家主義的な流れを踏襲するのか、それとも自由で伸びやかな人を育てるためのリベラルな方向に転換させるのか??私としては、そこに一番関心があります。前者であった場合、日本の教育の将来はまだまだ明るいとは言えないと思います。

2007年8月には村上英樹さんたち13名の弁護士さんが、民主党に対して「政権を取ったら教育基本法をこう再改正してほしい」という要望書を送っています。教育基本法や現場での教育がこの提案に少しでも近い姿になるようでしたら、その時には私は教育分野における民主党の取り組みを支持したいと思います。
http://kokoro-no-jiyuu.blog.so-net.ne.jp/2007-08-23



京都タウンミーティング訴訟(その2)・原告M.N.さんの陳述書−心のノートの登場 [教育基本法]

7月7日に傍聴してきた京都タウンミーティング訴訟での、原告M.N.さんの陳述書を紹介します。教育について疑問を持った時期も活動の熱心さも、彼女は私から見れば大先輩なのですが、基本的な問題意識は近いものを感じます。ところどころに感想を交えながら載せたいと思います。M.N.さんは実名を連絡先として出していたことで要注意人物としてマークされ、TMへの参加を故意に阻止されました。その後も堂々と氏名を出して活動していますが、ここでは匿名とします。

TM不正を立証する書面としては長文であり、過去にさかのぼって「心のノート」や「道徳教育振興市民会議」といった一見関連の薄い事項が取り上げられています。これについては、私も傍聴しながら少し不思議だったのですが、傍聴後の集会での担当弁護士さんの説明で、「このTM不正は唐突にそれだけ起こったものではなく、国の教育政策の変化、それに対するM.Nさんたちの活動、市教委とのやりとりなど、前段さらに前段があり、根の深い問題だと気がついたので、そもそも・・・というところから筋道を立てて話すようにした」ということでした。振り返って話を聞くことで、私自身、まだ教育に疑問を持っていなかった時期の動きもよくわかり、たいへん勉強になりました。

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                                   2008年7月3日
      陳述書
                                   原告 M.N.

原告のM.N.です。職業は大学の職員、在日朝鮮人の夫との間に二人の娘がいます。娘たちは二人とも、京都市の公立の小学校・中学校・そして高等学校に進学しました。娘たちの学校生活の中で、私も教育や学校の問題に関心を持つようになりました。以下、私が、何故、今回の「文化力親子タウンミーティング・イン・京都」(以下、「本件タウンミーティング」)に応募しようと考えたか、本件タウンミーティングをめぐってどのようなことがあったのかなどを説明します。

1 本件タウンミーティングに応募した経過と理由
私は2005年11月に京都市で行われた本件タウンミーティングに、当時高校生だった娘、夫と話し合って応募しました。

<まいより>このタウンミーティングは「親子タウンミーティング」と銘打っていて、親子一人ずつのペアで応募するものでした。子どもは高校生までということで、M.N.さんと次女さん、夫のP.K.さんと次女さんという組み合わせで応募されました。同じ子どもが2回応募することについては、事前に主催者側に問い合わせて「問題ない」という回答を得ていたそうです。

<陳述書続き>
「文化力」という言葉は行政の造語であり、その意味するところはよくわかりません。2004年あたりから商店街に「文化力」と書かれた旗がたくさん翻っているのを奇妙に感じていたのを覚えています。けれども本件タウンミーティングの目的が教育や文化についての「市民との直接対話」であるなら、それは私たちが待ち望んでいたことでした。

(1)『心のノート』の登場と、息苦しさを増した学校
2004年4月、文部科学省によって、全国の小中学校に道徳のテキストとして『心のノート』が一斉に配布されました。「教科書でも副読本でもない」というこのテキストは、検定も採択もなく著者名もありません。当初の2年間だけで11億円もの税金を投じて、「日常生活や全教育活動」、さらには地域や家庭でも使用するようにという指導のもとに、文科省から直接配布されたのです。教科書が子どもの手に渡るまでの法的ルールを踏まない上、7月には各都道府県で使用状況調査が行われて使用が強制され、この教材を使わない現場の「心の自由」は認められていません、実質的には道徳の「国定教科書」であると言えます。

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しかし現代の『心のノート』は、戦前の修身と似た徳目を説きながら、単純で高圧的な上からの命令ではありません。「道徳」を口当たりのよい「心」と言い換え、パステルカラーの豪華な表紙に、9年間にわたって「望まれるであろう答え」を自ら書き込んでいきます。心理学の操作手法を巧みに取り入れ、その意図は見えにくいものです。

求められているのは、明るく従順な大人にとっての「よい子」というだけでなく、「人間の力を超えた者への畏敬の念」を持ち、「この国を背負って立つのはわたしたち。わたしの住むふるさとには我が国の伝統や文化が脈々と受け継がれている。それらを守り育てる使命がわたしたちにはある」(小学校5・6年版 P97)。そして「我が国を愛し、その発展を願う」(中学生版 P114)という結論に誘導されています。「わたし」という主語はいつの間にか国家の声にすり変えられ、国家が求める「若き国民」を自分自身としていきます。『心のノート』は、愛国心教育を盛り込もうとしている教育基本法改悪の先取りとして、法的ルール違反を侵す「反道徳的」な手段で現場に持ち込まれたものでした。

                               

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京都タウンミーティング訴訟・原告の証言を聞いてきました(その1) [教育基本法]

これまで何度か紹介してきました、京都での教育基本法に関するタウンミーティングの不正(特定の親子を落選と通知して参加させない、そもそも「厳正な抽選」など行われず排除したい人の抽選券末尾の番号である5,7、9に該当する人を全員落選とした)の裁判はいよいよ大詰めを迎えました。7月7日の10時から15時近くまでの長時間、4人の原告が証言台に立ち、30分〜1時間ずつ主に原告側弁護士の質問に答えました。

時間や条件が合わずしばらく傍聴できていなかったのですが、原告の長時間の証言を聞ける最後の機会ということで、どうしても聞きたくて行ってきました。前回に内閣府の伊佐敷氏と京都市教委の松浦氏の証人調べがあって、どちらが主導したかで完全に食い違っていたそうで、事実認定という点では、前回が山場だったようです。不正があったことは証拠上明らかで(内閣府と京都市教委間のメールや、教委が依頼した参加者を中心とする席順表がしっかり残っています)、素人ながら私の感覚としては勝訴の確率は9割以上のように感じました。

それに加えて、今回の原告の訴えは心のこもった素晴らしいもので、私が教育に危機感を抱くようになる前からの政策、原告や子どもさんの悩みが実感として伝わってくるため、ぜひ紹介したくなりました。

まず、このタウンミーティング訴訟に関して私が書いた過去記事を挙げておきます。
6/13(水)京都タウンミーティング訴訟第2回口頭弁論
京都タウンミーティング訴訟、市教委推薦(無抽選)が過半数か?
TM国賠訴訟第3回口頭弁論のお知らせ(20日午前10時15分集合)
【お知らせ】京都タウンミーティング訴訟についての学習討論集会
【お知らせ】タウンミーティング国賠訴訟・第5回口頭弁論

今回いただいた案内チラシに要点がまとめられていますので、引用します。

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●いよいよ最終局面を迎えたタウンミーディング不正国賠訴訟

原告4人が証言台に立つ・・・みんなで傍聴を!
証人調べはこれで終了、いよいよ秋にも判決か

TM訴訟も、昨年1月の提訴以来、すでに9回の口頭弁論を重ねてきました。そして、いよいよ最終局面を迎えようとしています。皆さんへの最後のお願いです。
次回口頭弁論(7月7日)に、原告4人が証言台に立ちます。他の証人の採用については、全て見送られたので、TM訴訟としては、これが最後の事実調べとなる重要な法廷です。ぜひ、傍聴においでください。
そして、10月6日(午前10時〜)の次回口頭弁論で結審、年内にも判決が予想されます。


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土壇場での学習指導要領の修正 [教育基本法]

ブログ更新お休みと言いながら、毎日書いていますが・・・(笑)。それだけ、書かずにいられないネタがあるということでしょう。時間と体力が不足しているので、考察なしに事実のみアップします。Rolling Beanさん、yamamotoさん、村野瀬玲奈さんなどのブログを参考にさせていただいて、少しでも、ほんの少しでもリベラルな方向になるように、頑張って7通出した学習指導要領のパブコメですが、どうやら反対の結果になってしまったようです。http://kokoro-no-jiyuu.blog.so-net.ne.jp/2008-03-15

東京新聞28日の朝刊記事です。

子どもを遠からず小学校に入れなくてはならないことを考えると、そしてこんな学習指導要領で教育を受けるかと思うと、どうにもやりきれないです。やはり、もう公立校はあきらめて、せめて自由な校風の私立を選んだ方が良いのでしょうか。悩みは日々深くなります。

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学習指導要領 君が代『歌えるように』 「愛国心」総則明記 直前変更きょう告示
2008年3月28日 朝刊
 文部科学省は二十八日付で、小学校で二〇一一年度、中学校で一二年度から実施する学習指導要領を告示した。二月に公表した改定案を一部修正し、学校の教育活動全体についての方針を示す総則に「我が国と郷土を愛し」の文言を新たに盛り込んだ。また、小学校音楽では君が代について各学年で「指導する」としていたのを「歌えるよう指導する」と変更した。いずれも議論を呼ぶ可能性のある事柄で、意見が反映される余地のない土壇場での変更が批判を呼ぶことは必至だ。 
 同省は「改定案公表後の与党からの意見や、一般公募で寄せられた意見を総合的に判断し、(愛国心などを新たに盛り込んだ)改正教育基本法の趣旨をより明確にした」と説明している。

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