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学校選び:初めの一歩 [学校と子ども]

新年度が始まって間もなくて、親も子も気持ちは保育園の新クラスでの生活にあるのですが、学校選びは早くも第一の小さな山場を迎えていました。これから1年弱、いろいろな悩みやとまどいの日々を過ごすことになりそうで、たいへんなようなファイトが出るような複雑な気持ちです。

きのくにサマースクールの申し込み、地元公立校の学校公開、そして先週末には新しい教育を目指して明るく前向きに頑張っている若い人二人とじっくりとお話しすることができました。何と一人はきのくにの卒業生で、私は実際にきのくにに通っていた方にお目にかかるのは初めてだったので、もう嬉しくて嬉しくて、思いっ切り学校の様子や感想をお尋ねしてしまいました(でももっとお聞きしたい!)。やはり、きのくには私の予想通りまたはそれ以上に「行って良かった学校」のようです。Oさん、Yさん、お忙しいところ、どうもありがとうございました。近いうちにまた、お目にかかりたいです。

公立校の学校公開は子どもと夫も一緒に3人で行きました。思うところはたくさんあったのですが、短時間の見学であり、少しの情報で思い切ったことを書くのは軽率だと思いますので、細かい感想はもっと情報を得たり私のなかでも発酵させてからにしたいと思います。ちょっとだけ書いておきますと(努力しておられる先生、学校を楽しんでいる子どもはたくさんいるとは思いますが)、きのくにやわくわく子ども学校とは別世界に見えました。そして、私は子どもさえ希望すれば後者の自由教育の学校で学んでもらいたいと思いました。

公立校でいただいたパンフレットによれば、めざす子ども像は、「夢と志」をもち、社会のなかで心豊かにたくましく生きる子どもで、細かくいうと
・あいさつをする子ども
・人の話をきく子ども
・たたいたりけったりしない子ども
・きまりを守る子ども
・人の喜ぶことをする子ども
だそうです。

総論はおいておくとしても具体的な子ども像は、何だかなあ〜と思ってしまいます。大人からみた扱いやすい子ども。みかけで判断した型通りの良い子ばかりのような。子ども自身の幸せや楽しさ、学んで世界が広がる喜びなど、そういうものはどこへ行っているのでしょう?以前のブログにも書きましたが、きのくに子どもの村学園の理念は、「自己決定、個性、体験を尊重する生活と学習により、一人ひとりが感情的にも知的にも社会的にも自由な人間へ成長するのを援助する」です。素朴な感想として、こちらの方がずーっといいと思ってしまいます。

学校の目標と言えば、箕面のわくわく子ども学校(←来年度からは「箕面こどもの森学園」と名称が変わります)の校長の辻正矩さんが、NPO法人大阪に新しい学校を創る会の会報EDUKADO(注:エスペラント語で教育の意味だそうです)に書いておられる文章がとても良かったので、辻先生の許可をいただいて転載します。

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創造的に生きる

4月9日に二人の新1年生を迎えて、5回目のわくわく子ども学校の入学式を行いました。私の胸の中には、いろいろな困難を乗り越えてよくここまでやってきたものだという気持ちと、まだ理想の実現には途半ばという気持ちとが交錯していました。

入学式の挨拶で、子どもたちに大切にしてほしいことについて話しました。一つは、「自分のことを尊重することと、相手のことを尊重すること」です。これは民主主義の基本であり、私たちの学校の基本でもあります。二つ目は、「ちょっと難しいと思うことにチャレンジすること」。その積み重ねによって人は成長していくのだと思います。三つ目は、「自分の好きなことをたくさん見つけること」です。なにか一つでも自分の好きなこをがあると幸せに感じることができます。そして、それが将来の自分の仕事につながるかもしれません。

自分の本当にやりたいことに人生の早い時期に出会った人は幸せです。いや実は、だれでも成人するまでに一度はそれと出会っているのですが、ほかにもいろいろなことに出会うので、本当にやりたいものがなんだか分からなくなってしまうのです。これをしたいと強く思ったものがあったとしても、周りの環境がそれをすることを許さなかったという人もいるでしょう。

自分が本当にやりたいこと、それをわたしたちは夢とか理想とか呼んでいます。創造的に生きるとは、自分の夢や理想を実現するために懸命に生きることだと私は思います。創造的な人とは、天才的な科学者や芸術家ばかりを指すものではなく、自分の本当にやりたいことを実現した、あるいは実現に向かって努力している人だと思います。というのも、本当に自分がやりたいことをやるには、経済的なことも、技術的なことも、人間関係のことも含めて、創造的な工夫が必要となります。それが伝統的なものであれ、革新的なものであれ、今までと違ったやり方、あるいはその人らしいやり方でやるということです。

教育者のしごとは、子どもたちの健全な成長を支援することですが、中でも大切なことは、子どもたち一人ひとりが自分の夢(理想)を見つけ、それが実現できるように励ますこと。そして、すべての人が自分の夢を実現できるような社会を創ることが人類の夢であることを伝えていくことなのではないかと思っています。
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子ども、特に小学生のころの「夢」がそのまま仕事に直結する人は少数派でしょう。小学生(低学年?)の年齢では、お店屋さん、先生、医師、運転手、スポーツ選手など、自分の身近なところで見える職業があこがれになりやすいですね(うちの子は「ケーキ屋さんになりたい」と言っています)。研究職や会社内での仕事など、目に見えにくい仕事の存在を知り、自分が就く可能性を考えるのはずっと後のことだと思います。

それでも、子ども時代のその時々で夢を持つこと。そして、それに向かって試行錯誤の努力をしてみること。この姿勢はたいへん大切だと思います。

教育についていろいろ学んできて、いまのところ私は「学校、学生時代の最大の目標は、生涯いろいろなことに疑問を持ち、自分から学び続ける人になること」ではないかと考えています。卒業後の人生の方がずっと長いのですから、入試を基準にさえしなければ目先のテストの成績が少し良かっても悪かっても大きな意味は持たないでしょう。一人ひとりが自分の問題意識を持って、学び続けていくことが自分の成長にも社会の進歩にもつながると思います。


2008-06-26 11:30  nice!(1)  コメント(10)  トラックバック(1) 

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hm

 子育てにおいて、そのときどきにおいて、お父さんお母さんが考える我が子に対するベストの選択を尽くしてあげる。
 こういう親の愛は、きっと伝わるし、(大きくなってからかもわかりませんが)ありがたいなあと感じ、お子様がそのお子様(孫ですね)にもそうしてあげたいと望むきっかけになるのだろう、と思います。

 maiさんのようなお母さんにめぐまれたお子様は幸せだと思います。
 なので、たぶん、公立校でもきのくにでも、それぞれに(楽しいことも苦しいこともあるでしょうが)得るものを得て、ご両親の愛情と教育のもと立派に成長されることと予想しますが、そのなかでも、maiさんたちとお子様が好きな生き方を選べること自体が幸せなことかと思います。

 いずれにせよ、これからが楽しみですね!
by hm (2008-06-26 17:30) 

mai

>hmさん
ごぶさたしています。コメントどうもありがとうございます!過分の言葉をいただき、ちょっと照れています。わが子に生き生きとした子ども時代を過ごさせてやりたい。それは確かに最大の動機なのですが、私の場合、自由教育の現場や会の雰囲気が好きで好きでたまらないという、自分の好みで動いている点も大きいです(^^;)。

先日お話しした若き教育家Oさんも、私のことを「ブログのイメージとかなり違う」とおっしゃっていましたが、原因はそのあたりにあるのではと思います。一度記事にしてみたいと思っています。

子どものことを考えると同時に(もしかしたらそれ以上に)、「こんな素敵な世界に、何とかして私もかかわりたい」という感じでしょうか。けっこう趣味に走っている母親なのです(^o^)

だから子のために自分は後ろに下がってサポート役に徹するというより、「私にも見せて!まぜて!」という騒々しい母かもしれません(笑)。

これからの見学や体験でどんなことが待っているのか。少しずつ書いていきますので、アドバイス等よろしくお願いします。
by mai (2008-06-27 21:04) 

ayu15

看板?はまあよさそうな・・・・。でも社会風潮とかおもうとなんか現実は何か不安です。
by ayu15 (2008-06-28 08:27) 

mai

>ayu15さん
ありがとうございます。これだけ格差が広がると「社会のなかで、こころ豊かにたくましく」という下りは、「過酷な条件に置かれても弱音を吐かずに生きていけ」というふうに読めるような気がします。
by mai (2008-06-28 13:34) 

りゅうた

はじめまして、りゅうたと申します。
突然のコメント失礼いたします。

>公立校でいただいたパンフレットによれば、めざす子ども像は、「夢と志」をもち、社会のなかで心豊かにたくましく生きる子どもで、細かくいうと
・あいさつをする子ども
・人の話をきく子ども
・たたいたりけったりしない子ども
・きまりを守る子ども
・人の喜ぶことをする子ども
だそうです。

これにすごく疑問を持ちながら育ちました。
大学生になってもそれは消えることがありませんでした。
なにかの中でしか成長することができない、
その枠のようなものがこれだと思います。
この枠を超えて成長しようとすると
わからない子、変な子、扱いにくい子とされてしまう。
私はずっとこの枠の中で成長してきましたが、
何か違うといつも思っていました。
周りはなぜ、疑問に思わないのかとも。

そのことがすごくリンクしたのでコメントいたしました。
失礼いたしました。
by りゅうた (2008-06-29 15:47) 

mai

>りゅうたさん
こんにちは♪コメント寄せてくださって、ありがとうございます。記事中でおわかりかもしれませんが、私は就学前の子どもを持つ母親ですが、「いまの公立校は何だか窮屈そう。子どもが幸せな学校生活を送れるだろうか?」と悩んでいます。自己決定、体験学習、個性化などをキーワードにした自由教育というコンセプトの学校に一番共感を覚えていますが、通学圏にはそういう学校がなく、子どもがどうなるかは未定です。

>これにすごく疑問を持ちながら育ちました。
大学生になってもそれは消えることがありませんでした。
なにかの中でしか成長することができない、
その枠のようなものがこれだと思います。
この枠を超えて成長しようとすると
わからない子、変な子、扱いにくい子とされてしまう。
私はずっとこの枠の中で成長してきましたが、
何か違うといつも思っていました。
周りはなぜ、疑問に思わないのかとも。

私が違和感を感じたり、子どもにとって良いのだろうかと悩んでいるのは、まさにその点です。子どもが枠のなかにいる子になったとしても、超えてしまう子になったとしても、あまり生き生きとは過ごせないように思います。

私の学生時代はずいぶん昔のことになってしまいました。教育政策や時代背景もかなり変わっているようですので、りゅうたさんのように若い方から体験を踏まえた意見・感想をお聞きできることは、本当にありがたいです。

ブログも拝見しました。私と少し共通する点もあり(それはまた折があればお話しします)興味深いです。そちらにもおじゃまします。これからもよろしくお願いします☆




by mai (2008-06-29 20:43) 

りゅうた

突然コメントしたにもかかわらず、
たくさんの返事をありがとうございます。

その中で育った、子供として補足を書かせていただきますと、
枠の中で育つことは、決して悪いことではなかったということ。

自分は枠の中で成長せねばならないことを疑問に思い、
枠の外にはみ出した発言をして、先生に怒られたことは、
何度かありますが、
なぜ、先生はこの発言をして怒ったんだろう、
それを考えるようになりました。
枠というものを、より色濃く見えるようになったように思います。

なぜ、枠が必要なのか。
枠は何のためにあるのか。
はみ出すということはどういうことか。

そういう課題を作ってくれたものでした。
枠の中に生きているから窮屈というよりも、
枠の中に生きながらも、枠の外で考えていたという感じでしょうか。

私立の学校に通ったことがありませんので、よくわかりませんが、
私立の学校は、学校の経営理念がはっきりしており、
枠が公立よりもはっきりしているように思います。

自分の思う、経営理念の学校へ行く(または行かせる)ことは、
実際のところ、より枠の中で生きることになるように思います。

自ら、枠の中に入ることは、
枠の中に入れられるのとは、意味が違い、
より、枠というものを意識できなくなると思います。

枠を意識できなくなったとき初めて、
枠の中でしか生きられなくなるのだと思います。

よくわからないことになってきました。
すみません、こういうことは自分のブログに書きます。。。
by りゅうた (2008-06-30 23:05) 

mai

>りゅうたさん
お返事ありがとうございます。私も枠の中でやってきた組です。へんだな〜と思うこともありましたが、現実世界には働きかけず、自分の興味や疑問を満たす本を読んだりしていました。

幸いというべきでしょうか、時代的にも選択した学校のカラーとしても枠は強固ではありませんでした。一例ですが、最近の公立高のように、入学時に髪の色(明るさまで)やスカートの長さを登録されたりしたら(私は身なりにはあまり興味がありませんが)、きっと「高校に入っていったいなに??」と怒って抗議に行っていたかもしれません(もし勇気があったら)。

おっしゃること、わかる気もします。かなり哲学的なので・・・ですが
。私が評価している自由教育の学校は「枠がない(少ない)」ことを理念としていますが、「枠がない」という「枠がある」わけで、どこに行ったとしても環境を規定する条件というものはありますね。

私は散文的な思考をする方なので、すぐ具体的な話になってしまいまってごめんなさい(笑)。前からその動きはあったと思いますが、教育基本法という法律が変わって以来、枠の強度や性質が変化しています。思考してその意味や無意味さを見いだす。そういう枠の効用よりも、無用に子どもにストレスを与えるという負の作用の方が勝ってしまったと判断しています。

次の記事に私が好きな学校の授業のようすを転載しました。どうせ何かの枠に入るのならば、こういうものに入ってほしいと思っているところです。

こういう切り口も大歓迎です。あまりきちんとお返しできないかもしれませんが、よろしかったらまた書いてください☆


by mai (2008-07-01 16:38) 

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