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犬山市教育委員・中嶋教授の講演要旨(1)−習熟度別授業について [学校と子ども]

昨年4月に実施された全国統一学力テストに唯一不参加であった犬山市。市の教育委員で名古屋大学大学院教授である中嶋哲彦さんの講演を聴いてきました。中嶋さんの講演については、今年7月にも友人のくるみわりのケイトさんがまとめてくださった記事があります。今回は10月に行われた結果の公表を踏まえてということで、前回の続編的なお話になっていました。とても興味深く、かつ勇気の出るお話でしたので、メモを元に紹介します。

なお、今日はあまり時間がなく走り書きのようなかたちになり、不十分な点もあるかと思いますがご了承ください。
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講演のタイトルは「基礎学力の平等保障と人格の完成を目指して」です。

今年の学力テストの参加・不参加については「右へならえ」的な感じで、結局、不参加は犬山市だけでしたが、全国学力テストを巡る情勢は動いており、10月の結果公表を受けて、見えなかったことが見えてきたり、わからなかったことがわかったりしました。そういうことを踏まえてお話しします。

まず、結果の子どもたちへの返し方ですが、順位をつけて返すのではないかと心配していましたが、それはありませんでした。それぞれの問題について正解か不正解かを書き、各問について全国の正答率を添えていただけでした。学力テスト実施の理由として「生徒の今後の指導に役立つ」ということを文科省が挙げていました。つまり、生徒、担任、教師のためになると言っていたのですが、毎日子どもと接している担任はそのくらいの学力状況はすでに掴んでいるはずです。

業者のテストでさえ結果には分析がついてきて、「ここは良くできました」とか「ここはもうちょっと頑張りましょう」とか、子どもへのコメントがついています。そういうコメントをつけることは、コンピューター処理をすれば簡単にできます。しかし、今回のテストでは子どもたちに返す言葉はありませんでした。「指導の資料として役立てる」というのは実施時の理由付けの言葉だけだったという印象を受けました。

学力テストの結果はいまは文科省のホームページから見られます。マスコミには公表される1週間前に渡っていました。私は公表前に何社かのマスコミからコメントを求められたのですが、その時点では結果を知らなかったので、「ファックスしてください」と頼むとどのマスコミも渋るのです。なぜかと思って聞いてみると多すぎるのです。全部で300ページにも及ぶものでした。

それは丁寧に公開したことになるでしょうか?私は逆に、データがあまりにもたくさんであって、ポイントが絞れていないと思いました。

実際に結果を見て、まず思ったことは
・あまりにも大部すぎる。データが整理されていない。
・したがって、私のほしいデータがあるのか、ないのか、あるとしてもどこにあるのか、最後まで見ないとわからない

ということです。

例えば、人の目につかないように物を隠す時、きちんと整理された机の上に置くとすぐにわかってしまいますが、ゴチャゴチャの机の上など雑然としたもののなかに置くと見つかりにくいです。こういうデータの公表のしかたはフェアではないと思いました。

私が知りたかったことの一つは「習熟度別授業の実施率と正答率との関連」です。習熟度別授業を推進している文科省としては、当然、正の相関を期待していたはずです(注:犬山市教委および中嶋氏個人は習熟度別学級に反対しています)。それでデータの海のなかを一生懸命探したのですが、どこにもなかったのです。

そもそも習熟度別授業が有効であるという研究結果は出ていません。アメリカでは70年代にトラッキングという名称でそういう教育方針がとられていたことがありますが、学力向上に効果がなく、むしろ差別意識を助長するということで、いまでは行われていません。私は毎年、春にはアメリカかニュージーランドに視察に行っているのですが、むこうの教育関係者に尋ねても怪訝な顔をされるばかりです。そういう根拠のない教育法が日本では推進されています。

それで、習熟度別授業について学力テストでの結果ですが、公表された中にはなかったのですが、マスコミが質問していました。すると文科省は「相関は出なかった」と答えています。しかし、全く相関がなくバラバラだったのか、逆相関が出たのかはわかりません。文科省は「(結果を)出すと習熟度別授業に対する国民の誤解が生じる」と言っています。77億円もかけて行ったテストですが、そのデータを信用できないということを自ら告白したようなものです。

都合の悪いデータは出されていません。どうして誤解を与えるかという説明もされていません。「データは見せられないけれど、習熟度別学級には効果があると信用しろ!」と言っているようなものです。しかし、教育学者で習熟度別学級に効果があると言っている人はいません。

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ここまでで、全体の3分の1弱というところです。長くなるので、(その1)としてアップします。


2007-11-17 13:49  nice!(1)  コメント(13)  トラックバック(2) 

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東西南北

 習熟度別学級編成は教育上、論外のものだということであり、同様にして高校、大学の学校間格差=受験体制による学校レベルでの習熟度別編成も論外だと言えます。

 さらに、中学校における内申書の評価は相対評価であり、論外の差別評価制度です。どれだけがんばっても最低の評価にされる人の割合が決まっているわけです。

 要するに、到達度評価まで含めて発達、学習能力を点数で評価することは教育上、まったく不必要だということです。

 子供らの発達、学習権を達成していくのに最も効果的なのは受験体制による「差別・選別」の廃止、少人数制学級の導入、文部省検定の廃止、国民、住民、保護者、教職員らが作成する教科書の導入、父母の経済格差をが子供に反映しにくくする教育費の無償化なのです。もちろん、幼稚園から大学まで一貫する必要があるものです。

 受験体制、習熟度別学級編成は教育行政の介入で最大のものであり、完全に反教育的なので廃止する必要があります。

 
by 東西南北 (2007-11-17 19:14) 

東西南北

 笑ってしまいましたさん。はじめまして。東西もwakuwakuに対してのみこのように対峙しております。彼は通常の大衆ではなく知識人です。これが特殊事情です。

 そして、東西は「考え」の違いを批判しているのではなく、「考え」が引き起こす事実、行為、実践を批判しているわけです。「考え」の違いだけであれば漫画ですし、多様で問題ないですが、現実に受験体制、高学費などを事実行為で権力が押し付け、強制していることを問題にしているのであり、殺人行為、強盗行為を問題にしていること同じであり、漫画の殺人、強盗を問題にしているんじゃないということです。

 「もう少し外の人と関わった方がよろしいのではないでしょうか。」との踏み込んだ発言を受けて失礼ですが返答いたします。

 もうすこし真剣に権力問題、政治問題を考えて真面目に生きた方がいいじゃないでしょうか?

 政治、経済の問題は「考え」「妄想」「バーチャル」の問題ではなく、それぞれでいいんだ、いろいろあるさ、ゆっくりいこう、などという問題ではないんですよ。

 死刑執行される受刑者の立場、アフガン、イラク戦争で空爆されて殺される人々、「おにぎり食べたい」と餓死する人びと、過労死、ワーキングプア、受験地獄、高学費、失業。わかりますか?「考え」の違いの問題じゃないんです。

 具体的な生活、悔しさ、事実の問題なんです。一体、誰が大衆を抑圧し、苦しめてるんですか?決め付け、強制しているのは誰なんですか?

 実社会に生きていればわかるはずです。企業資本、財界、権力、アメリカ政府とその擁護者を批判しましょう。
by 東西南北 (2007-11-18 15:25) 

東西南北

 申し訳ありません。上のコメントでwakuwaku先生を呼び捨てにしていました。wakuwaku先生と訂正させてください。
by 東西南北 (2007-11-18 15:33) 

喜八

> 笑ってしまいましたさん

wakuwaku_44 先生は私(喜八)が「ブログ開設おめでとうございます」というごく一般的なコメントを彼のブログに書き込んだところ、即削除し、そのうえ書き込み禁止処置までとりました。
それなのに、wakuwaku_44 先生はよそのブログには延々とコメントを書き連ねます。
wakuwaku_44 先生はどういう精神構造をされているのでしょうか?(笑)

もしかしたら・・・wakuwaku_44 先生は「ネットでコメントすること」をお仕事とされている方なのかもしれません・・・。
by 喜八 (2007-11-18 16:32) 

mai

>笑ってしまいましたさん
こちらでは、ご自分のブログやHP、メールアドレスの記入のないコメントは受け付けていませんので、削除させていただきます。
by mai (2007-11-18 16:51) 

mai

>WAKUWAKU_44さん
何度もお話ししていますが、私とWAKUWAKU_44さんでは、根本となる考え方が違います。異なる意見を持つ人も大切にしたいと思い、いままで特に制限なくコメントいただいていましたが(コメント数は限定させていただいていましたが)、他のブログで沖縄戦の軍命令についてコメントされているのを拝見して、私はWAKUWAKU_44さんとは、これ以上お話しできないと感じました。私は軍の関与があったか、政府の責任があったかなどという議論が大嫌いです。自決せざるを得ない、そういう社会を作ってしまった大人全体に責任があると思います(民主主義ではありませんでしたので、一般庶民にまで責任を問うことは事実上できませんが)。西欧の帝国主義下であったなど困難な事情は理解しているつもりですが、上下を問わず権力を持っていた方々は全員責任があると考えています。私がいま、こんなに一生懸命活動しているのは「あの時、どうしてお母さん、反対してくれなかったの?」と子どもや孫およびその世代の人に後で思われると申し訳ないからという、ある種の責任感からです。ですから、微力ですが、いまできることを私の全力でしています。
WAKUWAKU_44さんのそのコメントは、私にとって許容できるものではありません。この件だけではありませんが、そのコメントが決定打になってしまいました。申し訳ないのですが、今後、こちらのブログ、そして、できれば私と考え方の近い方のブログに書き込みをご遠慮ください(私からたどってコメントを受けているブログの方に申し訳ないです)。もし、このブログに書き込みをされても、少なくとも当分の間、削除をさせていただきます。長い間、私なりに我慢をして、受け入れる努力をしていたことは理解ください。
by mai (2007-11-18 21:50) 

薩摩長州

>私がいま、こんなに一生懸命活動しているのは「あの時、どうしてお母さん、反対してくれなかったの?」と子どもや孫およびその世代の人に後で思われると申し訳ないからという、ある種の責任感からです。ですから、微力ですが、いまできることを私の全力でしています。

感動しました。
by 薩摩長州 (2007-11-18 22:13) 

女衒の辰

maiさんへ
沖縄戦での住民集団自決問題は、まさに旧日本軍が直接命令を下したかどうかよりも、maiさんが仰るように、《自決せざるを得ない、そういう社会を作ってしまった大人全体に責任》だと思います。更に言えば当時の一般的市民(大人達)ではなく、国家体制そのものに問題があったのでしょう。

戦後の無責任(偽装等も)社会を形成した大きな原因は、戦争責任を自ら(日本国として)裁かなかったのと天皇の責任を不問にしたことと思います。

国家の為に犠牲になることを尊ぶ教育を繰り返してはなりません。
by 女衒の辰 (2007-11-18 23:07) 

mai

>薩摩長州さん
ありがとうございます☆読み返すと、何だか大げさで恥ずかしいのですが、教育基本法についてのミニコミを一緒に作っていた友人とも、話をすると最後には必ず、引用してくださったような会話になります。「二人ともこういうこと(活動)には向いてないけれど、子どもや孫のことを考えると、今動かないわけにはいかないねえ」と、お互い苦笑しています。リベラル派のブロガー(ブログを書かなくても実際に動いている方も)の多くの方々には、そういう義務感、責任感が根底にあると感じています。もちろん薩摩長州さんもです☆

>女衒の辰さん
コメントありがとうございます。同感です。あの時代背景で一般的市民に責任を問うのはたいへん酷なことだと思います。では、国家体制を作り維持していたのは誰か?やはり天皇を中心とした、国民には雲の上の存在だった権力でしょうね。

でも、いまは(いちおう)民主主義社会ですから、私たち一人ひとりの責任が問われますね。話はそれますが、最近フィンランドで少年による銃乱射事件があって、国中がショックを受けています。フィンランド在住の日本人学生の方のブログによれば、「今回このような事件が起こったのは、大人の責任だと、大人たち自身が1人1人が重く受け止めています」と書いておられます。国全体がそういう雰囲気だそうです。日本人との発想の違いに目が覚める思いでした。

命の危険を冒さなければ何も言えなかった戦前とは(まだ)違うのですから、気がついた者が、どんどん勉強しながら情報を広めていかなくてはならないと思います。
by mai (2007-11-19 00:02) 

wakuwaku_44

maiさんは、おそらく誤解されたのだと推察いたします。

おそらく志村さんのところの書き込みのことかと思います。
私は「誰それの責任」だとか「軍の関与があったなかった」ということを述べているのではありません。第一、そんなことを私は問題にしたことは、一度もしたことはありません。(しても意味がない)

「沖縄の悲劇」は、沖縄各地で起こったことであり、その様態は一様ではない、ということを述べただけです。そして、「各々のケースの背後関係をきちんと踏まえて検証するべきだろう。理由はひとつではない。」ということを述べたわけです。

上部機関から命令を受けたケース、「形式は勧告でも、実質は命令であるケース」、そして『上部機関から命令はなかったが、勝手に判断して自決を迫ったケース』です。
最後のケースについては、おそらく『戦陣訓』からくるものだと思います。

沖縄戦は、沖縄全土で展開されたわけですから、形成が不利になって、部隊の隅々まで指揮命令がスムーズにいかなかったことは容易に想定できます。従って「具体的に司令部から命令がなかった」ということもあるでしょう。認めない方々の「命令はなかった」ということも、当然ありうるわけです。

ただ、それが免罪符になるかといえば、私はそうは思っていません。

命令がなかったにも関わらず自決を半ば強要したというのは、「生きて虜囚の辱めを受けず」という教えの下で戦争が行われていたことですから、『仮に命令がなかったとしても、その教えを忠実に守る精神性がそうさせた』ということですから、これはこれで認識して再現しないようにしていかねばならないと思います。
by wakuwaku_44 (2007-11-19 00:14) 

mai

>WAKUWAKU_44さん
コメントの主旨は了解したつもりです。私の早合点があったらおわびします。ただ、私は政府が沖縄、従軍慰安婦、南京虐殺など一連の事件の責任を限局化、矮小化しようとしていることが、どうしても許せません。南京虐殺では人数はもしかしたら、中国側の言うよりは少ないかもしれません。しかし、一人ひとりの殺された人にとっては、たった一つの命を理不尽に奪われたわけです。規模など云々する前にまず反省・再発防止、伝える教育をするべきです。例えば最近の産経新聞の記事のように逆ギレのように、日本側が文句をつけるのは、盗人猛々しいとしか思えません。

「検証」するべきであるとしたら、どうしてそういう社会や国家体制になってしまったか。今後繰り返さないためにはどうすればよいか。ということです。その目的のために「一つではない理由」を研究するべきだと思います。

「これはこれで認識して再現しないようにしていかねばならない」とお書きの部分ですが、「これはこれで」というような付け足しではなく、それを再現しないということが一番大切な目標になるべきだと思います。

ごめんなさい。そのあたりの認識は、かなり違いが大きいと思います。私はこの点をとても大切に思っていますので、やはり前コメントの方針通りにさせてください。

なお、他ブログへのWAKUWAKU_44さんのコメントは、今後とも読ませていただき、お考えの真意を把握させていただきたいと思います。
by mai (2007-11-19 00:52) 

東西南北

 mai さんへ

 WAKUWAKU_44先生の真意は表明されていますよ。

 「私は「誰それの責任」だとか「軍の関与があったなかった」ということを述べているのではありません。第一、そんなことを私は問題にしたことは、一度もしたことはありません。(しても意味がない)」

 つまり、今回の集団自決削除問題について、そんなものはどうでもよい。削除だろうが掲載だろうがどうでもよい。そんなことで教育現場にも社会も何もかわらない、というのが真意です。教育基本法が改定されたのもどうでもよい、という態度と同じです。

 一番の問題は、文部科学省の検定意見を撤回させ、記述を回復させるのかどうかです。これに回答しないどころかどうでもよいといういうのがWAKUWAKU_44先生の真意であり、なし崩し的に真実を知らせない教科書を作成していくつもりなのです。そして、教育行政の介入を強めることに資する教育基本法の改定についてもなし崩し的に国民のコンセンサスを形成していくつもりなのです。

 解釈改憲を進めながら憲法9条改定まで実現していくつもりです。
by 東西南北 (2007-11-19 01:22) 

喜八

> mai さん、東西南北さん

世の中には「善意」や「常識」では対応できない事態がいくらでもあると思います・・・。

今後は私も「時間のムダ」は回避することにしますね・・・。
by 喜八 (2007-11-19 13:49) 

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