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ワンフレーズ教育の危険について [学校と子ども]

我が家の子どもはまだ園児なので、国家主義的な考え方や規範を園で教え込まれるという機会はほとんどないようで、私はイライラせずにすみ、子どもも楽しそうに通園し、まずまず平和に暮らしています。私は人間として必要なマナーやしつけは小さいうちに身につけて、学校へ通う年齢になってからはそういう教育は少なくしていくのが理想だと思っています(もちろん、問題となる場面があったら、そのつど話し合うことは必要でしょうけれど)。ですから、しつけはちょっときびしめの園のようですが、良いことを教えてもらえるのなら、それでいいと思っています。

宗教を掲げている園なので、国家的思想がストレートに入ってきにくい面があることも気に入っています。日の丸君が代とも、いまのところ縁がありません(私は国旗国歌を否定しているのではありません。しかし、いまのように日の丸君が代が人間に対する踏み絵的に使われている場面がある限り、反対せざるを得ません)。ただ、服装の一部ですが決まったものを着用したり(全身制服ではありません)、背の順に整然と並んだり、運動会の踊りの練習を1カ月以上してみんなで合わせたりというように、私からみて画一的な面はあり、私が理想とするいわゆる自由教育ではないのですが、親としては許容できる範囲です。

そんな割合のどかな園生活のなかで、世の中の教育の流れが入り込んできているなあ〜と感じさせられるのが「食育」です。園として特に力を入れているというほどでもなく、たぶん他の園と横並び程度だと思いますが、なぜか6月19日が食育の日で午前中が「食育の話」になっていたり、県や市が配布したらしい食育関係のポスターやイベントのお知らせがはってあったりします。

また、毎月全員が購入している幼児向け絵本にも毎号必ず食育のページがあり、小さい子ども向けなので食品の種類などの紹介が多いのですが、付録の最後に「朝ごはんは大切です!朝ごはんをきちんととらないと「元気が出ない」「集中力が欠ける」「記憶力の低下」「反応の鈍さ」などが見られるようになります。牛乳だけ、バナナ1本だけではなく、毎日きちんと朝ごはんを食べましょう」などと、親への教育かな?と思わせるようなページがあったりします。

私は1〜2年前、世の中で食育という言葉が広く使われるようになって以来、はっきり言ってこの言葉は好きになれません。「うちの子どもにも朝食は毎日食べさせるようにしているし、別に悪い内容ではないのに、どうして好きになれないのだろう」とずっと自問自答してきました。最近になって、何となくその答えが見えてきたように思います。それは、「学」ではなく「育」である。結論が先にあって、そちらに親子を誘導していこうという意図がみえるところです。

子どもに対しては、有無を言わせずきちんと教えておかなければならないことがらはあると思います。例えば・・・
・自分の安全や生命にかかわること:交通ルールなどで、「左右をよく確認し、手を挙げて横断する」
・他者を損なうかもしれないこと:友だちに砂をなげたり、遊具から押したりする行為など。「自分がされてイヤで困ることは、お友達にしてはいけないよ」と言い聞かせる。

そういう重要なことについては、最初からきっぱりと教えるべきだと思います。しかし、その他の緊急性のないことについては、頭から教え込む態度には反対します。客観的な情報を与えて、自分の頭で判断ができるようになるのを待つべきでしょう。その点で言えば、食に関する姿勢は一生に渡るもので、子どもをネグレクトして食事を与えないなど、ごく例外的な虐待のようなケースを除いて、重要だけど緊急性は少なく、じっくりと考えさせるべきだと思います。

その上、食育は一見、子どもに言っているようでいて、実は主に親に「こういうふうに子育てしろ!」という規範を示しています。というのは、食事を用意し子どもに与えるという食事の責任者は親なのですから。そういう大人に対して、家庭のなかにまで入り込むかたちで、前のめりに結論を押しつけるような介入はしてほしくないです。たとえ、正しいことであってもです。

食育と関連して最近よく耳にする「標語」に「早寝、早起き、朝ごはん」というものがあります。地域ぐるみでそういう運動を推進しようとする「早寝、早起き、朝ごはん推進協会」のようなものまで、保守派の方々を中心に設立されています。こういうワンフレーズ教育には非常に抵抗を感じます。悪いことを言っているわけではありません。一見、誰もが反対できない「正しいこと」を掲げながら、しかし、こういうお題目のような教育は、人々に考えることをさせません。

何回もそのフレーズを耳に入れることによって、「自然に」そういうものか、そうしなくては・・・と思わせることを意図しているように見えます。人間の知性を信頼し、自由な思考を促していく真の教育ではなく、取りあえずこのことを覚え込ませ正しいと思わせる・・・そういう応用の効きにくい刷り込みでしかないと思います。

先日、ある公立高の前を通りかかったら、玄関の真ん前に大きな字で「挨拶励行」と書いた横断幕がかかっていました。小学校で「元気にあいさつしよう」という標語でしたら(特に賛成ではありませんが)、理解できます。それが、もう10代の後半の生徒たちに対してまで、「挨拶励行」と書いている。私はそれを見て愕然としました。考える力を育てない教育を続けた結果、こんなことをもう半分大人のような生徒に求める。そういう実態となっているようです。

食育や「早寝、早起き、朝ごはん」的なワンフレーズ教育の行き着く先が、高校での「挨拶励行」だというのは考えすぎでしょうか。同じような言い聞かせでも、私たちが親世代から聞かされた「お米はお百姓さんが汗水垂らして作ってくれたものだから、最後の一粒まで粗末にせずに食べるんだよ」というものは、農業が主産業であった日本人の実感と気持ちがこもっていて、いまでも「そうだなあ〜」と思い出しますが・・・。

家庭で上の世代から戦争中の話を聞くと、国民や子どもたちに対して、たくさんの標語的教育が行われていたように思います。「ほしがりません、勝つまでは」「生めよ、増やせよ」・・・。そういう標語的な教育には自分で批判的に考えて善悪を判断する力を鈍らせてしまう魔力があるように感じてなりません。

食育から戦争中のことまで飛躍しすぎかもしれませんが、私は根っこは似た潮流のように思います。06年教育基本法をもし自治体や現場が忠実に実行したら、こういう結論先取りの教え込み教育になるはずです。いまは反対の出にくい食事面から入ってきていますが、そのうち次第次第に意見の分かれそうな分野まで、こういう手法が用いられると思います。政治を変えて教育の流れを旧教育基本法の理想を実現する方向にしたい。心からそう思います。






2007-11-07 10:56  nice!(1)  コメント(12)  トラックバック(31) 

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hm

maiさんに全く同感です。
 一言で言えば,そういうのって「気持ち悪い」のです。
 で,私の「気持ち悪い」を,ちゃんと論理的な言葉にすると,maiさんの言われるように「人間の知性を信頼し、自由な思考を促していく真の教育ではなく、取りあえずこのことを覚え込ませ正しいと思わせる・・・そういう応用の効きにくい刷り込みでしかないと思います」ということとか,「自分で批判的に考えて善悪を判断する力を鈍らせてしまう魔力があるように感じてなりません」と言われる通りだとおもいます。
by hm (2007-11-07 16:05) 

mai

hmさん
どうもありがとうございます。私も「こりゃなんだ〜、気持ち悪い」から始まりました。本文にも書いたように今年春から何ヶ月も考えて、やっと何とか言葉にできたような感じで、誉めていただいて嬉しい&照れてしまいます。気持ち悪いけれど、表だって文句が言えるような間違った内容ではないところに、推進する側の巧妙さを感じてしまいます。
by mai (2007-11-07 19:07) 

tamara

まいさん、こんにちは。
ホントにその通りです。せっかくいいこと言っていても標語となったら、全く胡散臭いものになってしまうから気をつけないとならないですね。
高校生に「挨拶励行」とか「チャイム着席」とか、すごく馬鹿にしています。自分で考えるということをどんどん奪っている
のが学校だとしたら、本当に日本の教育は淋しいです・・。
by tamara (2007-11-07 21:52) 

女衒の辰

勉強になります。
「食育」という言葉は聞いたことはありました。先日の市議会選挙の時も「食育の推進」を公約していた候補者もいたように記憶しています。

その時、学校給食での食育推進の為の活動として「地元産の食材」を使う運動だと説明されていたようです。

私は、単純に食の安全の問題が取りざたされている今日、安全な(と思われる)地元産の食材を使うことは地元も農業振興にも役立ち、漠然と良いことだな~~あ。と思っていました。

今日、maiさんのブログを拝見し自分の無知を恥じているところです。
調べて知ったのですが「食育」って言葉だけではなく「食育基本法」って法律まであるのですね。それが平成17年6月10日、自民、公明、共産の賛成。民主、社民の反対で成立したとの事。何故共産が賛成なのでしょう。

(財)食生活情報サービスセンターなるものが一枚かんでいますね。公益法人の見直しが行われる中、仕事があるようにするための法律ではないのでしょうか。役人って強かですね。補助金にたむろする輩もいることでしょう。

これからも知らないことお教え下さい。期待しています。
by 女衒の辰 (2007-11-07 22:36) 

薩摩長州

女衒の辰 さまへ 食育に関して
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun05/syokuiku_asahi.htm
by 薩摩長州 (2007-11-07 23:07) 

ayu15

うちは騒がれる何年も前から食育の重要性を言っていました。そのころそういう言葉はありませんでしたけど。

やっと時代がうちに追いついた。国がうちのいうのを認めたと喜ぶものでしょうけど。なんか・・・。なんでしょう、このもやもやは?
by ayu15 (2007-11-08 10:28) 

mai

>tamaraさん
ありがとうございます。
>高校生に「挨拶励行」とか「チャイム着席」とか、すごく馬鹿にしています。
私も「挨拶励行」を見た時、情けないというか悲しくなってしまいました。工場の「安全励行」(←工場では生命にかかわることもあるので、こういう標語もありだと思いますが)を連想しました。きのくにの掘さんは、「学校が子ども強制収容所になっているのではないだろうか?」と書いておられますが、ある意味そうなのかもしれないと思います。何とか、良い方向に行くように、心ある先生方と保護者が頑張りたいと思います。

>女衒の辰さん
コメントありがとうございます。小さい子どもがいると「食育」という言葉は本当にいたるところで目につきます。先日は私の職場の管理職の女性まで、「訪れる人(成人です)にパンフレットを渡して、最終的には食育までもっていきたい」と言っていて、広まっているなあ〜と実感しました。

地元の食材を使用する(標語で言えば「地産地消」になりますが(笑))ことは、地域の産業・文化を守る、食の安全性、輸送にエネルギーが少なくて地球環境に良い・・・などの点で私も賛成です!

そうなんですよ。食育基本法なんて法律ができて、現場でも普及に弾みがついている感じです。共産党の賛成は初めて知りました。びっくりです。

>(財)食生活情報サービスセンターなるものが一枚かんでいますね。公益法人の見直しが行われる中、仕事があるようにするための法律ではないのでしょうか。役人って強かですね。補助金にたむろする輩もいることでしょう。
これは初めて知りました。なるほどー、それはありそうですね。調べてくださってありがとうございます。

>薩摩長州さん
こんにちは。資料拝見しました(まだ目を通した程度ですが)。私は一人の母親として教育現場の動きだけから見ていたのですが、何やら奥が深そうで、勉強になります。
母親としては、資料の「学校における「食育」推進は、国家戦略として重要であり、それを担うキーパーソンとして、学校栄養職員の資質を高め、「栄養教諭(仮称)」制度の実現」・・・のくだりで、楽しくて自由であってほしい食卓が「国家戦略」と結びつけられたくないと思いました。

>ayu15さん
ayu15さんは毎日の食事を大事にしておられる様子で、尊敬します(我が家でも大切にしなくてはと思っているのですが、他のことに紛れてしまうことも多々・・・)☆大切なものだからこそ、(↑にも書きましたが)楽しく自由であってほしいです。この件については私ももやもやしっぱなしです。
by mai (2007-11-09 09:47) 

wakuwaku_44

物事を教えるってのは難しいですよね。
何事もタイミングってのがありますし、また、「実際に味わう」ことで覚えていくものも多い。でも、それが「実際に起こると、取り返しがつかない」というものもある。
ただ、基本的には「失敗から学ぶ」というのでいいんじゃないかって思います。「どうして失敗したのか」ということを検証していくと、「じゃ、次はこうしてみよう」と考える。

食育についても同じことが言えるかなと思いますね。
maiさんが懸念している方々については、そう意識なさる必要はないかと思います。別にその方々の発言を実行しなければならない、なんてことはありませんから。
もっとも、確かに言っていることは正しいですから、大いに利用し参考にすればいいと思います。その上で、いろいろとmaiさんご自身がアレンジしていけば、逆に、そういう方々も文句を言えないだけスキルアップすると思います。
そして「言ってることは正しいんだけど、あれで楽しいのかな」って思っているぐらいが、ちょうどいいんじゃないでしょうか。
by wakuwaku_44 (2007-11-10 12:50) 

東西南北

 食育。これは子供が安全で多様な食文化を実現していく権利を保障していくものであり、学習権の一環という位置付けなんでしょう。そうであれば、保護者のネグレクトのよる虐待に対して子供が食文化を要求していく根拠になるのであり、必要なことですね。子供の権利が食育ということであり、国家や保護者の命令を合理化するものではないというのは当然です。

 食というもはどういうことなのか、ということを学校での給食や調理実習、課外活動等を通じて学習していくということですね。こうした見地から子供たちに対して食生活の安全、健康、多様性、食生産労働への科学的認識、自然と食生産への科学的認識を体験させながら、感情的にも理論的にも「人間らしく」一貫して教育していく義務が保護者と国家にあるということですね。

 こうして食育と子供の権利として位置付け食育関係の予算を国家に保障しせていく運動が必要だと思いますが、学校や家庭への教育行政の介入は「学習指導要領」と同じ位置付けで退ける必要があります。

 追記:東西が小学生の頃の「食育」は作ってくれた人への感謝の心を忘れるな!ってことで、給食を残すことはありえないという教育でした。東西もまずくて飲み込みにくいメニュをいまでも憶えているんですが、「皮付きチキンのオレンジソース和え」「梅ゼリー」でした。これは東西にとってまさに「拷問」でしたが、我慢と忍耐で完食し、給食を残したことがないという金字塔を打ち立てました。他方、友人のM君はトマトが嫌いでした。ある日、トマトをボイルしたようなトマトの風味が生暖かく強烈に出る調理法でトマトがM君の前に出されました。M君はギブアップして先生に残すことを申しでましたが、不許可。掃除の時間も永久にボイルトマトと睨めっこでした。東西らが「おい。一気に行け。大丈夫や」とかいってゲラゲラ笑って励ましていた所、M君がおもむろに一気に流し込みました。東西らは「おー」って感じで拍手。その瞬間、M君は東西らが綺麗に磨いた床にゲロを思いっきりぶちまけました。M君は保健室行きです。先生は東西らに「おい。先生はMを保健室へ連れて行くから。東西。おまえ、ゲロの片付けしといてくれるか?」って、東西は「ぎょえー。何でやねん」って感じでしたがサボると先生にビンタされるのは確実だし、M君のうなだれる姿がかわいそうだという理由でゲロの片付けをしました。

 作ってくれるのはありがたいですが、食べる人の多様性を尊重したメニューを出してほしいなー。と要求する権利が子供にはあるということでしょう。
by 東西南北 (2007-11-10 16:56) 

mai

>WAKUWAKU_44さん
コメントありがとうございます。私も違和感を感じてから「そう、カリカリするほどのことじゃないかも?」と思ってきました。でも、やはり私としては、子どもに教えるのは栄養学初歩、大人には栄養学基礎以上で、その判断はそれぞれの人に任せてもらいたいと思います(たぶん、このへんWAKUWAKU_44さんとは、基本的にアプローチの違う点だと思います・・どちらが良い悪いは別として)。
さらに一人ひとりの幸せを願ってというより、「国家戦略」というか、こういう国民を作りたいという意図が先立っていると思います。そのあたり、リベラルの私はやはり賛成しかねます。
by mai (2007-11-11 22:56) 

mai

>東西南北さん
なるほどー。子どもの権利という観点ですね。私は恥ずかしいのですが、子どもの権利条約にまだ全部目を通していませんが、「子どもは栄養の整った食事を与えられ、健康に発育する権利がある」という意味ならわかる気がします。

ただ、いまのやり方は、大人にも子どもにも考えさせるようなアプローチというよりも、一つの結論が決まっていて、そちらへ誘導しようとしているように見えて、「学校や家庭への教育行政の介入は「学習指導要領」と同じ位置付けで退ける必要があります」と感じてしまうのも確かです。
by mai (2007-11-11 23:04) 

wakuwaku_44

>私も違和感を感じてから「そう、カリカリするほどのことじゃないかも?」と思ってきました。でも、やはり私としては、子どもに教えるのは栄養学初歩、大人には栄養学基礎以上で、その判断はそれぞれの人に任せてもらいたいと思います。

いや・・・・まったくその通りなんですが・・・・。
私は別にmaiさんに反論したっていうんじゃなくて、「maiさんが抵抗を感じる人も、言ってることの中身自身は正しいから、それを参考にしたり、利用したらいいんじゃないかな。」っていうことだけであって。
もちろん、参考にならないものまで取り入れる必要など、どこにもありませんから、深く考えることではないと思います。

>さらに一人ひとりの幸せを願ってというより、「国家戦略」というか、こういう国民を作りたいという意図が先立っていると思います。そのあたり、リベラルの私はやはり賛成しかねます。

従わないとペナルティがあったり不利益がある、というならば、それは看過できるものではありません。
今回の場合は、別に守らなくても、大したことはないでしょうから、それこそ「ムーディ勝山」状態で、右から左へ受け流す~♪でいいんじゃないでしょうか。

教育基本法にしても、私は同じことが言えると思います。
「改正した、ということが問題だ」という思いがあるならば、改正反対の主張をなさるのはいいと思います。
しかし、「改正したら、こうなる」というところまでの心配はなさらなくてもいいんじゃないか、って私は考えているのです。なぜならば、改正内容を完全に遵守すれば、旧基本法の下で行われたこととまったく同じになる、と踏まえているからです。
ですから、正しい言い方としては『改正という政府与党の「行動」は批判するが、あの改正内容だったら、今と同じことをやればいい。』というスタンスで臨んだ方が、maiさんには余裕ができるかなって思っている、ということです。
by wakuwaku_44 (2007-11-12 03:41) 

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