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身近なちょっと嬉しい話 [子どもの世界]

このところ、私にとってはハードなエントリーが続いたので、今日は一休み。身近で気楽な話を書いてみます。

日々、ブログで教育について批判をしている私ですので、現実の世界では先生方に対して「さぞ、きびしいだろう。口うるさいかも」と思っておられる方もいるでしょう。実はそんなことはなくて(笑)うちの子は1歳になる前から保育園に預け、いろいろな事情でいままでに4カ所ほどの園を経験したのですが(気に入らずに変わったのではありません)、思い返してみると園にクレームをつけたことはありません。

もちろん、「ちょっとどうかな?」と感じることはありました。例えば、最初の園では「お散歩が少ないなあ」とか、いまの園では「みんな揃って同じことをする時間が多いな。もうちょっとバラバラでもいいのでは」とか「運動会の練習がやけに多い。暑いのにこんなに毎日しなくてもいいような・・・」など、やや画一的な雰囲気が気になります。

でも、もともと私は面と向かって人にドンドン意見を言う性格ではなく(本当はもっと言った方がいい場合もあると思いますが)、上に書いたような疑問も決定的なことではないので、「子どもがイヤがらなければ、まあいいかー」と流してしまうのですね。それと、一番大きいのは、毎日先生方と顔を合わせていると、一生懸命子どもと接してくださっているのがわかるのです。先生だって人間ですから、「あっ、今日はちょっとしんどそうだな」とか「(他の子に話している口調が)少しきびしい」とか感じるときはありますが、基本的に子どもを安全に楽しく、そしてしっかりと育てようと頑張ってくださっていると思います。

自分の子一人でさえ丸一日相手するだけでもたいへんなのに、やんちゃ盛りの子どもを毎日30人以上みてくださって、保育士の方々には本当に頭が下がります。

いつものように前置きが長くなりました。今日は最近の連絡帳から、ちょっといい話を書いてみます。

<私から先生へ>
連絡事項ではありませんが、子どもがとても喜んでいたのでお礼を申し上げます。今日の会で
聞かせていただいた「ぴょんきち」の話が楽しかった♪と何回も言っていました。
家に帰ってからも「海に虹の橋ができて、それを渡って・・・」とたどたどしくはありますが、
ストーリーを話してくれました。楽しい時間をどうもありがとうございました。

<先生から私へ>
楽しんで頂けてよかったです。普段見られないような物を見せてあげたかったので、変わった
人形劇をしてみました。お家での話のきっかけになって嬉しいです。

こういう楽しさや感動を積み重ねていってほしい・・・それがいま、親として最大の願いです。

小学生になると、なかなかこうはいかないという話はよく聞きます。勉強という要素がメインになること、成長するにつれて荒れやいじめといった問題が出てくること。学区の小学校では、ある学年で「学級崩壊」が起き、先生が心身ともに疲れ果てて、年度末までに複数の先生が休職されたそうです。

就学前である今の穏やかさはどう変わっていくのでしょうか?海外や日本の教育について情報を得るのと同時に、自分の子どもの身のまわりの変化から、さらに教育問題を考え続けていこうと思っています。


2007-09-20 23:28  nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 

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wakuwaku_44

maiさんへ

いいですね~~。
保育園での出来事が、家庭でのコミュニケーションのきっかけとなり、家庭での出来事が保育園の糧になる。
難しい教育論としても効果があるのですが、そういう難しいことを離れても、単純に「楽しい」のですから、お子さんは大喜びでしょう。

昔は、各々の得意分野があって「○○なら誰それだ、△△なら誰それだ」というように、逆に個性をみんな意識していたもんですけど、最近はそうじゃないんですね。
頭いいヤツがテストで点が悪ければ「お前、どうしたんだ?」だったわけだし、班対抗の競争となると、頭いいヤツは「切り札」だったり「参謀」だったり。運動会は、スポーツができるヤツは、やはり「大将」だったり「切り札」だったりして、それぞれ「俺が負けても、こいつがいるから大丈夫だ」みたいな感じで楽しんでいましたけどね。(逆に、優秀なヤツは相当プレッシャーだったです。)

受験競争という意味では、今よりも遥かに競争があった時期(それも史上最高の競争)でしたし、それこそ管理教育・詰め込み教育全盛期でしたが、心に余裕があったんですけど、それが今はできない、というのは、問題の原因が単純じゃないっていうことなんでしょうか?
by wakuwaku_44 (2007-09-21 08:36) 

東西南北

 簡単で単純なことなんですけどねー。子供の苦しさの原因に気づかず、押さえつけて誤魔化す大人がいるということでしょう。子供の責任ではないです。これが虐待防止と豊かな子育ての決定的認識です。自公政権とその支持者、無関心層のよる受験勉強・学歴体制、虐めがなければ学校は子供の天国です。

 「小学生になると、なかなかこうはいかないという話はよく聞きます。勉強という要素がメインになること、成長するにつれて荒れやいじめといった問題が出てくること。学区の小学校では、ある学年で「学級崩壊」が起き、先生が心身ともに疲れ果てて、年度末までに複数の先生が休職されたそうです。」

 これが実態ですね。人間を抑圧する要素をひとつづつなくしていくことで抑圧されて、抵抗し、がんばっている人間を自由にしていくことが民主主義です。

 受験制度、学歴体制競争に苛められている子供でも強い子は立ち向かいながら、他人にも勉強を教えたり、合格の喜びを分かち合える。しかし、受験制度、学歴体制競争が人間を押しつぶし、抑圧している力であることは事実。これがなければ、虐められっぱなしの弱い子でも伸び伸びと元気にみんなと過ごしていけます。

 受験制度、学歴競争体制は人間社会に不要な抑圧制度です。

これが教育の根本認識でしょうね。その上で、今現在はやはり、少人数制学級を導入し、一人一人の子供たちが受験制度に立ち向かうようたくましさを体得させながらも、受験制度に抑圧されている人に対しては、「甘え・落ち子ばれ・負け組み」などという態度ではなく、自公政権の受験制度に友達が抑圧され、押しつぶされた。「許さん」という健全な態度を示していける教育が必要だと考えます。
by 東西南北 (2007-09-21 19:34) 

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