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東京の先生からのメール [教育基本法]

あるメーリングリストで、東京の公立学校の先生から次のようなメールが届きました。季節柄、卒業式での君が代問題なのですが、読んでいて胸が苦しくなってきました。以前にも書きましたが、私は「君が代斉唱時には起立する」という通達くらいまでは、個人的な気持ちは別として反対していません。しかし、教育委員会の監視と処分は常軌を逸していると思います。思想、信条、信仰、教育者としての信念から起立できない人がいることが、どうしてこれほど大騒ぎになるのでしょう。この国の向かっている方向の縮図を見る思いです。

周りの人に広げることを希望しておられますので、以下に転載します。

「日の丸・君が代」の強制とたたかい
                  

 2003年10月23日都教委から「国歌斉唱時、教職員は指定された席で国旗に向かって起立し斉唱せよ。」という通達(「10・23通達」)が出されてから、五回目の入学式・卒業式を迎えます。都教委は各学校に監視の役人を派遣して、命令に従わない教職員をチェックし、2007年春までに388名が「不服従」で処分しました。今春も新たに勇気ある「不起立」者が出ています。

 私たちの裁判は、「10・23通達」をめぐる「都立学校」(高校・養護学校)の訴訟です。現在、同一弁護団で五つの裁判が進行しています。一つ目は、「予防訴訟」(原告397名):一審勝訴。二つ目は、「嘱託解雇訴訟」(原告10名):一審敗訴。三つ目は、「嘱託不採用訴訟」(原告13名):一審勝訴。以上の3件は現在控訴審です。四つ目は、「不当処分取消第一次訴訟」・原告173名)、五つ目は、「不当処分取消第二次訴訟」・原告67名。):ともに一審係争中です。
 


 江戸時代の「踏み絵」同様の脅しの「通達」が出された時、「都教委はここまでやるのか」と戦慄が走りました。私自身は、定年退職一年前だったこともあり将来のことは特に考えずに、即座に「怒りの不起立」の決意をしました。しかし、まだまだ退職まで残り年数が多く、子育てや親の医療介護等で経済的なマイナスに不安を持つ教職員にとっては自分の態度をどうすべきか、悩みと不安との葛藤の毎日が、それこそ式当日の「君が代斉唱」時直前まで続きました。そしてそれは毎年繰り返されるのです。このような圧迫から、不眠や動悸や胃痛を伴う精神的肉体的変調に苦しみ、ついに退職を余儀なくされた40代の仲間も一人や二人ではありません。

 「不起立・不伴奏」原告の思いは当然ながら様々です。「信仰ゆえに」・「外国人ゆえに」・「日の丸・君が代が侵略戦争のシンボルとされていたゆえに」・・・「個人的な両親の戦争体験から」・「歴史を教える立場から」・「民主主義の根幹は違いを認め合うことから」等、共通の思いは「教育には強制はなじまない」ことです。多様性を否定し、一律に、「言うことを聞かなかったら処分するぞ」の脅しをもっての「日の丸・君が代」強制の「通達」は受け入れることができなかったのです。

 「静かな40秒間」の「良心的不服従」の被処分者への、都教委からの執拗、陰湿な「いじめ・嫌がらせ・見せしめ」は続いています。処分による給与、賞与、退職金の減額に加えて、再発防止研修や校内研修の強制、恣意的な異動や校内人事における差別のほか、福利厚生上の権利の停止や剥奪などの問題も生じています。わけても退職後の再雇用(再任用)への採用が全面的に拒否されてきていることは、とりわけ深刻な問題です。
 
 「10・23通達」にもとづく一連の行政介入は、特異な考えの石原都政による、憲法・47年教育基本法・子どもの人権条約に根ざす公教育を根底から覆すクーデターであり、「教育の自由」を根こそぎ奪いとる教育破壊そのものの出発点でした。通達以前の学校は、話し合いによる合意形成を大切にしてきました。今、学校は、管理職を含めて「ためいきと愚痴とあきらめ」で疲弊しきっています。「校長の責任と権限で」と言いつつ、都教委は校長から一切の裁量権を奪いとり、「上意下達」での「もの言わぬ・言えぬ管理職・教師・生徒」作りに躍起になっています。「おかしいことはおかしい」と発言する教師や生徒の口を封じ込める「人権侵害の自由の圧制」の先にあるものは
「専制政治」と「戦争への道」は明らかです。「不服従」は、子どもたちの明るい未来と教育の自由を取り戻すための、教師として、人間としての尊厳をかけた、絶対にゆずるこの出来ない、誇りある行動です。
 
 「47年教育基本法」が改悪され、「憲法」改正の動きも増しています。私たちは、この国の「平和と民主主義」擁護のたたかいの最前線に、否が応でも立つ破目になりました。私たちと共にたたかう70名を超える大弁護団の一人である白井弁護士は「教職員は胸を張れ!都教委は恥を知れ!裁判官は耳をかたむけよ、教育現場の声に!」と発言しています。私たちは「あきらめず・ひるまず・絶望せず」に通達撤回と裁判勝利を目指し奮闘します。

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いまの社会、特に学校では日の丸・君が代が人のこころを束ねる装置として使われているように思います。こういう状況は逆に、国旗・国歌を本当に尊重しているとは言えないのではないでしょうか。日の丸・君が代に人格があったら泣いているように感じます。


2008-03-16 21:09  nice!(0)  コメント(8)  トラックバック(1) 

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コメント 8

志村建世

君が代は、音楽的に問題のある歌だと思いますが、日の丸は、デザインとしては優れていると思っていました。しかし右翼に私物化されることで、日の丸はずいぶん汚されました。最近は、それに都教委の強制が加わったので、素直には見られない旗になってしまいました。これでは国民に愛される旗にはなりません。
by 志村建世 (2008-03-16 22:15) 

mai

コメントありがとうございます。私の祖父母は実子を戦争で亡くしていましたが、晩年まで祝日には日の丸を掲げていました。それを見ていると祖父母にとっては、戦争だけを象徴した旗ではないのだなあ・・・という気がしたものです。私自身も卒業式で普通に君が代を歌って育ちました(歌詞にはいつも軽い違和感を覚えましたが)。

しかし、志村さんがおっしゃる通り、右派のあまりの国旗・国歌の不可侵論(私物化)と都教委の強制のため、いまではどちらも素直に好感が持てなくなりました。装置ではなく、国旗・国歌が本当に生命を持つものになってほしいです。例えば、国歌は(自民党お得意の論理である)「時代に合わなくなったから変えましょう」ということでいかがでしょうか。
by mai (2008-03-16 23:04) 

東西南北

 「上意下達」での「もの言わぬ・言えぬ管理職・教師・生徒」作りに躍起になっています。「おかしいことはおかしい」と発言する教師や生徒の口を封じ込める「人権侵害の自由の圧制」の先にあるものは
「専制政治」と「戦争への道」は明らかです」

 これが本質。教職員攻撃から公務員攻撃全体へ、そして国民全体へ。裁判所と政権政党、そして行政権力という三権の命令こそが憲法であるから、国民は従いなさい、ということですね。

 学校だけの問題ではなく、社会全体の問題として取り組んでいくことが必要です。

 国民の人権VS三権。この闘いですね。

 「公務員は命令に従え。嫌なら辞めろ。不愉快だ」という権力側の命令と住民・国民側からの圧力の結合をどこまで排除していけるかの団結力だと思います。

 ともあれ、大部分の国民、住民の意識は、こんなもんでしょう。

 「処分までは行きすぎだ。でも、先生方ももっと柔軟になって起立し、歌えばいいのに。それで戦争になるわけでもあるまいし。少し大袈裟じゃないか」

 何故、日の丸・君が代に対して先生方が起立し、斉唱しないのかということについてもっと語る必要があると思います。それは平和教育の一環です。
by 東西南北 (2008-03-17 00:49) 

東西南北

「装置ではなく、国旗・国歌が本当に生命を持つものになってほしいです。」

 これができれば最高ですね。みんなが愛する国家、国民、国土。それを象徴する国歌、国旗。普遍的な人類愛が存在する以上、不可能ではないと思います。

 ちなみに、君が代、日の丸が軍国主義の象徴であった事実は他のどんな事実を持ってきても拭い去ることはできないので、国歌、国旗としてはふさわしくないです。ただし、侵略戦争の歴史とそのシンボルとしての日の丸君が代の歴史に目をふさぎ、古きよき日本のシンボルとしての日の丸君が代を敬愛し、起立斉唱する人々は起立斉唱すればよいでしょう。靖国神社を個人的に参拝するのと同じことで信仰の自由です。

 
by 東西南北 (2008-03-17 01:10) 

tamara

教育のもっとも大きな目標は、人格の尊重(自分と他者の)ですから、思想、信条、信仰、の自由を認めない強圧的なことに対して、教育者自信が折れてしまうことはできないのです。それをやったら生徒にウソを教えることになる・・こう感じて苦しい立場を貫いている先生達の心情はむしろ尊重されるべきだと思います。
by tamara (2008-03-17 20:39) 

mai

>東西南北さん
詳しい解説どうもありがとうございます。
>ともあれ、大部分の国民、住民の意識は、こんなもんでしょう。

>「処分までは行きすぎだ。でも、先生方ももっと柔軟になって起立し、歌えばいいのに。それで戦争になるわけでもあるまいし。少し大袈裟じゃないか」

そう思います。私が身近でリサーチした範囲では、「公務員だから命令に従うのは当然」説が一番多かったです。その次が↑に書かれたような反応です。
私は、「公務員だから・・・」の人には(人権云々言っても通じそうになかったので)、「違反したことと罰則との重さが違いすぎるんじゃない?窃盗罪で無期懲役にするくらいに感じるけど?」と反論し、「先生方も柔軟に・・」タイプには、「柔軟になってほしいのは権力側だなあ〜。個人をいじめてどうするの。それに、上がこれだけなりふりかまわず必死で従わせようとするのって、何かウラがありそうに思うけど・・」と言っておきました。




by mai (2008-03-18 16:23) 

mai

>tamaraさん
>苦しい立場を貫いている先生達の心情はむしろ尊重されるべきだと思います。
その通りだと思います。個人で少数派で頑張っている方々の意見を尊重してほしいです。日本もゴールデンタイムのテレビで、起立できない先生のドキュメンタリーが放送されたり、討論番組で先生の生の声が聞けたりすると、市民の意識も違ってくると思うのですが・・・。マスコミ統制がかかっている国で暮らすのはたいへんだとつくづく感じます。
by mai (2008-03-18 16:27) 

東西南北

 日の丸君が代問題、平和と抑止力論の問題。などを子供に教える必要がある、という話をしても変な保護者がわんさかいますねー。現状。

 「そんなことを子供に教えても理解できないし、子供らしくない。もっと、子供らしい元気になることを教えて欲しい」などといって子供から真実を隠蔽するんですよねー。そのくせ、「受験に必要なことは学校に残らしてでも殴ってでもいうこと聞かせて教えてください」って態度なんですねー。(笑)受験勉強の方が「子供らしくないし、そんなのわからんのじゃないですかねー」って切り返すと不毛ですので、「ま、受験勉強も、人権侵害のことも、戦争と抑止力のことも子供に教える必要があるんですよ。民主主義国ですかね。日本は」って会話をすると、たいがいの人は黙って聞いてくれます。ま、自宅でどんなイデオロギーを刷り込んでいるかわかりませんけどね。特に創価学会。

 

 
by 東西南北 (2008-03-18 22:52) 

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