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食育考(2) [学校と子ども]

前回、「食育」について書いた記事では「食育の内容は概ね問題がない、または正しいけれど、こういうやり方では人々の考える力を抑えてしまう可能性が高い」というふうに読めたと思います(私も後で読み返してみて、そう感じました)。

しかし、内容についても決してすべて適切であると評価しているわけではありません。東西南北さんがご指摘くださったように、子どもがきちんとした食事を与えられる権利、その基礎となる栄養についての知識という点だったら私も大いに賛同できるのですが、実際にポスターやパンフレット、食育について触れている雑誌などを見てみると、内容についてもかなり違和感を覚えるものがあります。

どういう点かというと、
・日本の伝統文化ということが、必要以上に強調されている
・地球全体の食糧事情や他国の食生活という視点が少なく、(上の点とも重なりますが)日本が云々という内向きの見方・考え方が目立つ

やはり、これは06年教育基本法で強調された「日本の伝統文化を尊重する態度を養う」という教育方針の一環として位置づけられ、教育基本法の具現化の一例に挙げられるものだと思います。

例えば、子どもがもらってきた小冊子「食育ドリル」を見てみます。これは食育の中でも米飯をテーマにしたもので全32ページの大半がお米についてのQ&Aで占められています。発行は「ごはんを食べよう国民運動推進協議会」(←こういう団体、申し訳ないですが感覚として「気持ち悪く」ないですか?私はとても違和感を感じます)。事務局が兵庫県農林水産部内となっていますので、行政の下請け機関のようなものでしょうか。前の記事のコメント欄で女衒の辰さんが指摘されていたように公益法人削減のなかで仕事の場として作られたという面もあるかもしれません。

そこでは文字通り、ごはんを食べよう国民運動というのを行っています(○○国民運動なんて、「いつの時代のことだろう?」と感じてしまいますが、最近、けっこうありますね)。その運動を進める4つの視点としては、1.国内で唯一自給可能なお米の重要性を再確認しよう 2.水田の価値と農業・農村の役割を再評価しよう 3.日本型食生活のよさを改めて見直そう 4.伝統文化とお米のかかわりを見つめ直そう・・・だそうです。

冊子には30問のQ&Aがあるのですが、これがやっぱり私の感性では「悪いとは言えないけれど、何だかなあ〜」と思うものが多いです。

例えば、
問8 毎日ごはん茶碗1杯多く食べると全国の水田がよみがえります
お米をあまり食べなくなったので、いまは全国の約40%の田んぼではお米を栽培していません。わたしたちみんなが、ごはんを1日あたり茶碗1杯分(精米で約60g)多く食べると、お米を栽培する面積がどれくらい増えるでしょうか?3つのなかからえらんでください。

ア. 約510ha(関西国際空港の敷地) イ.約67,000ha(琵琶湖の面積) ウ.約600,000ha(四国の1/3の面積)



答えは(ウ)だそうです。でも、農家の人がお米を作らなくなった理由って、そんなものでしょうか?作っても採算が取れにくい。つまり、米作だけでは生活できないということが大きいのではないでしょうか??私は農村に育ったので友人の家の様子などを見ていましたが、高齢の方は米作をしていても若い人は現金収入を求めて勤めにでている。そういう家庭が多かったのですが・・・。

もう一題、紹介します。
問24 スタミナをつけるごはん食
ごはん食についての次の文章の(  )に入る言葉を下からえらんでください。
お米のごはんはスポーツをする子どもや若者のパワーやスタミナを発揮するのに効果があります。マラソンや( 1 )など、持久力を求められるスポーツでは、( 2 )切れでバテてしまっては大変です。いまスポーツ界では、ごはんなどの( 3 )を試合前にたくさん取って身体をつくる「カーボ・ローディング(炭水化物貯蔵法)」と呼ばれる食事法が主流となっています。

選択肢:ア.クラッカー イ.みそしる ウ.サッカー エ.スタミナ オ.ガソリン カ.炭水化物 キ.二酸化炭素

と、このような感じです。やっていると、大人でも「へえ〜、そうだったんだ」と新しい知識も増えてそれなりにおもしろいのですが、終わってみると、何だか一方向へ誘導されているような不思議な気持ちになりました。

ところで、いつも文句?ばかり書いていても楽しくないので、こういう「食育」とはかなり違う学校の食事時間の描写を紹介します。これは私が大好きで、ブログでも何回か取り上げた和歌山県にある自由教育を標榜する私立学校「きのくに子どもの村学園」での食事の様子で、学園長の堀真一郎さんが書かれた「自由学校の設計」という本のなかから引用させていただきます。

自由学校の設計―きのくに子どもの村の生活と学習

自由学校の設計―きのくに子どもの村の生活と学習

  • 作者: 堀 真一郎
  • 出版社/メーカー: 黎明書房
  • 発売日: 1997/07
  • メディア: 単行本

にぎやかな食事風景
12時30分
ひるごはんの時間だ。食堂では長い列ができる。バイキング方式なのだ。大きい子も小さい子も混じって二列に並ぶ。大人も同じだ。今日のメニューは、おでんと味噌汁と果物である。食事をつくってくれるのは「喜八さん」といって、60代半ばのおじさんとその奥さんだ。下の町にある自分の厨房で調理して、みずから車で運び上げてくれる。たいていは和食または和風の食事である。なにしろ喜八さんは、いくつもの大きなホテルの料理長をつとめた人である。三年前には、後継者をたくさん育てたというので、宮沢元総理大臣から感謝状をもらった。大物なのだ。もちろん味はとても評判がよい。
 子どもたちは、それぞれに料理を取って、好きなテーブルで、好きな人と、好きなだけおしゃべりを楽しみながら食べる。きのくにの食事、それは社交の場なのだ。私は、沢田遊季(ゆうり)ちゃんと同じテーブルにすわる。ほんの一週間前に東京から転入してきたばかりの一年生だ。見ると、ごはんだけしか取っていない。
 「あれ、ゆうりちゃん、おかずはいらないの?」
 「うん、いいの。あたし、ごはんが好きだから。」
 入ってきて間もない子に時々見られることだ。関西風のおでんに少々とまどったのかもしれない。あるいはホームシックのせいかもしれない。先週は月曜から水曜まで三日間きのくにの寮に泊まって、木曜はお母さんのところに帰った。無理をすることはない。ぼちぼち慣れてくれればよい。新しい環境に緊張したり不安を感じたりするのは、だれだって当たり前なのだ。ぼちぼち慣れてくれればよい。さて、そのうち遊季ちゃんは箸を止めてしまった。何か考えている様子である。それから突然ニコッとしていったものだ。
 「あたし、この学校、気に入っちゃった!お替わりしてこようっと!」
 この日、遊季ちゃんは、大きなゴボウ天を三つもお替わりした。
****************************************

何度も読んでいるのですが、書いていてまた楽しくなってしまいました♪とても伸びやかで楽しそうだと思いませんか。私は今年の春、この学校に家族全員で見学に行ったのですが、確かに食事時間はバイキングで(その日は天ぷらだったかな)、みんな好きなものを自由に取ってにぎやかに楽しそうに食べていました。

きのくにのプロジェクトでは(プロジェクトについてはきのくに子どもの村学園のホームページまたは、私のブログの過去記事にあります)、「食」に関するものも毎年用意されていて、学校として食をとても大事にしています。「食育」などと押しつけなくても、こういう自由な雰囲気のなかで、子どもたちの自主性に任せて、ほんの少し大人が声かけをしてあげるだけで、「食」についての大切なポイントは身につくように感じてなりません。そして、その方が子どもにとって一生にわたって生きる本物の知恵となると思います。


2007-11-14 11:01  nice!(0)  コメント(12)  トラックバック(18) 

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wakuwaku_44

「食育」という概念というのは、インスタント食品、レトルト食品、ジャンクフードに偏りがちな食生活の変化による子どもの成長や健康面での懸念から発生したものと思います。
また、モノが豊かになり、安易に捨ててしまう風潮もあり、「モノを大切に」という気持ちを持たせたい、という願いもこめられているのかも知れません。

従って、こういう「『食』というものを、もう一度見直そう」という取り組み自身は、おそらくmaiさんもご同意いただけるかと思います。

しかし、政府側も変なところで堅いというか厳しいというか、って感じですね。「食べることは楽しい」「農作業は楽しい」「好き嫌いしないで元気な子」というような、その程度のことで十分「意識」はできますから、わざわざ「食育」というような堅い表現でやることでもないかなって思いはします。

もっとも、兵庫県がどうであれ、maiさんがそれに従わないといけないということはないのですし、ひょっとしたら、兵庫県の取り組みがきっかけとなって、maiさんのお子さんが、もっといろんなものを食べるようになったり、あるいは話のネタとしてコミュニケーションのきっかけになるのかも知れません。
そのあたりは、もっと鷹揚に構えてもいいんじゃないかなって、思いますね。
by wakuwaku_44 (2007-11-14 14:40) 

mai

>東西南北さん
コメント拝見しました。共感する点はかなりあるのですが、名前の呼び捨てがあり、申し訳ないのですが削除させていただきます。東西南北さんのコメントは私のPCに保存してありますので、書き換えなどされるようでしたらおっしゃってください。

なお、今回に限らず、呼び捨てやコメント数過剰で削除させていただいたコメントは、どなたのものも、私の方で保存してあります。
by mai (2007-11-14 20:02) 

東西南北

 すみませーん。忘れてました(笑)wakuwaku_44大先生を呼び捨てにしてしまいました。書き換えますので、再掲載してもらえますか? まいさんの方で書き換え可能なら大先生の敬称を付けておいてください。よろしくです。
by 東西南北 (2007-11-14 20:10) 

mai

>東西南北さん
東西南北さんのブログの「食育は子どもの学習権」の記事のコメント欄に貼らせていただきました。段落、改行ができていない点、おわびします。
by mai (2007-11-14 21:17) 

東西南北

 子供が好きなものを選んで食べるのは自由ですが、栄養をとることも食文化ですから自分らが楽しんで食べることができる「調理法」があることを大人は子供らに教育していくことが食育です。子供が嫌いな食べ物を「栄養があるから」「作ってくれた人に失礼だから」「日本の水田のため」という理由で押し付けることは食育ではありません。それは東西らが経験してきた指導ですね。掃除の時間まで残って食べることを「教育」され、ゲロを床にぶちまけたM君のようになります。(M君についてはhttp://blog.so-net.ne.jp/kyoikushiminnokai_in_shiga/2007-11-07のコメント欄に東西がコメントしています)

 みんなで育てた食材をみんなで調理して食べる授業などがあればよいですね。調理法をいろいろと工夫して食べる。楽しい食文化の学習です。しかし、このような授業をしていると現実は「受験体制」ですから、「おちこぼれ」が出てしまいます。本物の授業と学習を阻害しているのは受験体制だという認識が決定的に必要です。受験体制に反対せずして、理想の授業を学校で行えば保護者からクレームがくるし、子供らも「おちこぼれ」て受験体制の圧力で排除されてしまうのです。受験体制さえなければ現場の教職員と保護者が希望する自由教育が花開くことは確実です。

 この点、wakuwaku_44先生は受験体制を堅持し、子供らを抑圧しながら微笑して教育を語るわけで、最低最悪の偽善者ですし、時の政権が定めた学習指導要領に基づく受験教育という教育行政が各学校、各地域の本物の教育を抑圧している現実から目をそらさせるのです。受験体制は過度に競争的であり、子供の発達を促す本物の教育を抑圧しています。学校をテストで序列化する=受験体制は、最悪の教育行政です。経済の観点からも受験がなくなれば子育てにかかる受験教育費の負担も減りますし、人間にとってデメリットはありません。受験体制が廃止になってデメリットなのは受験産業と特権エリートでしょう。
 
 maiさんのような人の経験なり意見がふんだんに取り入れられたパンフレットや副教材、教科書を作成して子供らとともに学習していく学校と授業、すなわち、教育内容と方法を造っていくのが住民と国民に根ざした教育実践であり、教育運動ですね。現在は文部省が検定している教科書ですから、沖縄集団自決の検定問題などが絶えず噴出するわけで、時の政権が教育に介入する文部省検定ではなく、国民の教科書審査委員会が検定した教科書を作成していけばいいのです。
by 東西南北 (2007-11-14 21:44) 

wakuwaku_44

>受験体制は過度に競争的であり、子供の発達を促す本物の教育を抑圧しています。学校をテストで序列化する=受験体制は、最悪の教育行政です。

義務教育は、本来、それを終えれば別に学校へ行く「必要性がない」状態であるべきであって、それ以上の上級の学校へ行くというのは、あくまでも「選択」でしかなく、行く行かないは本人の自由です。
ということは、相手側である高校・大学も、希望者全員受け入れる義務などないわけで、キャパシティの問題から、そこで「選抜」という形で「受験」が起こるのは十分考えられることでもあります。
これは何も、学校に限った話ではありません。スポーツクラブでも企業や自治体の採用でも同じこと。なぜ学校「だけ」がそうであらねばならないのか、その「義務ではない」ものに対してそこまでしなければならないのか、理解に苦しむところです。

>経済の観点からも受験がなくなれば子育てにかかる受験教育費の負担も減りますし、人間にとってデメリットはありません。受験体制が廃止になってデメリットなのは受験産業と特権エリートでしょう。
 
受験産業については、受験がなくなれば他の分野への転用または他の業種への転換で対応するので、問題視することは私はしていません。
特権エリートすべてが東大というわけではないどころか、高卒のエリートもいる以上、別に受験がなくなってもデメリットは特に発生するとはいえません。。
受験教育費については、学習塾等の学費負担の分野になるだろうが、受験に関係ない「習い事」で莫大なカネがかかるものもある以上、強いて受験のみを敵対視する必然性もありません。

東西南北氏は、自分の主観が基準であり、その基準に合致しないものはすべて「悪」という態度であって、これが本当に民主的なのかどうか疑問が残ります。冥王星氏のブログで冥王星氏が同様のことを述べていましたが、まさにその通りですね。
by wakuwaku_44 (2007-11-14 23:00) 

東西南北

 アホらしすぎて、反論しようかと迷ったのですが一応反論しときますよ。まあ、上のようなコメントをした時点でwakuwaku_44先生は自滅しており、教育を語る資格はないことを証明しているということです。

 義務教育がどうのこうのと言っておりますが、子供が学校で学習を希望する以上、子供の学習権を保障することが国と自治体の役割です。それを受験で排除するのが問題だということです。

 学校の定員の問題も同じです。収容しきれないないなら国と自治体の責任で学校を建設すればよいだけです。現在は、受験体制で学校がランク付けされているので偏差値の高い学校へ希望者が集まるだけであり、受験体制を廃止し、学校間格差をなくせば問題はなくなります。

 職場の賃金評価と学校のテストの点数評価を同列視しているのは論外でしょう。学校は職場ではないですから、点数の評価は不要です。なお、弱点診断のテストは必要です。

 エリートの問題ですが、まあ、世間の実感とかけ離れたことをコメントしているわけです。仕事だけで評価されているなら学歴社会、学校暦社会など問題になりません。仕事だけで評価されていないから学歴差別、男女差別などが問題になるわけです。学歴と仕事は無関係なのだから受験体制の廃止をしたところで職場の賃金評価とは無関係のことです。職場は仕事だけで評価すべきです。現在は違いますね。

 受験体制が廃止されれば受験にかかる負担は減るわけです。これも事実ですから、難癖をつけないでください。

 結局、 wakuwaku_44先生は不必要な受験体制=学校を偏差値で格付けすることを堅持しながら、受験テストで希望者に対し進学を断念させながら、教育を語るわけです。どうしようもないですね。

 学習を希望し、授業についていけない子供があるんであれば、特に条件を整えて子供の学習を指導していく責任が保護者、自治体、国にあるのであり、学習を希望している子供を受験テストで「選抜」し、学校から排除し、就職を強制するのは反民主主義であり、非人間的な態度です。
by 東西南北 (2007-11-15 18:18) 

wakuwaku_44

>義務教育がどうのこうのと言っておりますが、子供が学校で学習を希望する以上、子供の学習権を保障することが国と自治体の役割です。それを受験で排除するのが問題だということです。

愚かすぎる、人権無視の理論です。
その学校で教える教師はどうするのですか?
小中学校においては、教師は、「いかなる児童生徒も教える」という「業務」を受け入れて雇用契約を締結しているようなものなので、これはいいでしょう。
しかし、義務教育ではないところの教師にも、東西南北氏の考えに従って組まれる業務を「雇用条件」として受け入れさせて、職業に就かせろ、とでも言いたいのでしょうか?基本的に義務教育ではない学校においては、「教師側」にも雇用条件に反しない範囲で「教える教えない自由」があるはずですが、それは無視ですか。

>学校の定員の問題も同じです。収容しきれないないなら国と自治体の責任で学校を建設すればよいだけです。現在は、受験体制で学校がランク付けされているので偏差値の高い学校へ希望者が集まるだけであり、受験体制を廃止し、学校間格差をなくせば問題はなくなります。

では、高等学校はすべて同じレベルの教育を施せと?
勉強できない子がついていけない、勉強できる子は不満。この問題、高等学校でもやるわけですか?別にそれでもいいですけどね。
しかし、キャパシティは教室や校舎といったハード面だけでなく、上記の「教師」というソフト面のキャパシティもあるんですが。これはいったい、どうなさるのでしょうか?

>職場の賃金評価と学校のテストの点数評価を同列視しているのは論外でしょう。学校は職場ではないですから、点数の評価は不要です。なお、弱点診断のテストは必要です。

不要かどうかは、東西南北氏が決めることではありません。
万人に強制して点数評価をしているならともかく、「高校受験生」は、「それを、自らの選択で受け入れている」だけであって、「強制されているわけではない」のですが。別に高校は行かなくてもいいんですから。

>学歴と仕事は無関係なのだから受験体制の廃止をしたところで職場の賃金評価とは無関係のことです。職場は仕事だけで評価すべきです。現在は違いますね。

そんなのは、職場の人が決めることであって、東西南北氏が決めることではありません。貴殿は、日本国民全員に東西南北氏の考えを強制するのですか?明治憲法の天皇よりも強権をお持ちのようですね、貴殿は。(失笑)

>受験体制が廃止されれば受験にかかる負担は減るわけです。これも事実ですから、難癖をつけないでください。

難癖も何も、「教える側」の「権利・自由」を侵害するようなお言葉に、私はある意味感動しております。東西南北様は、すばらしい権力者でいらっしゃるのですね。

>結局、 wakuwaku_44先生は不必要な受験体制=学校を偏差値で格付けすることを堅持しながら、受験テストで希望者に対し進学を断念させながら、教育を語るわけです。どうしようもないですね。

希望者全員を入学させなければならない、という理論はどこにもありませんから。

>学習を希望し、授業についていけない子供があるんであれば、特に条件を整えて子供の学習を指導していく責任が保護者、自治体、国にあるのであり、学習を希望している子供を受験テストで「選抜」し、学校から排除し、就職を強制するのは反民主主義であり、非人間的な態度です。

東西南北様のお考え『のみ』が、民主的であり人間的な態度なのですね。
神様のようなお方を久々に拝見いたしました。

教師側の要望やキャパシティを考える私が反民主主義であり、非人間的な態度なのだそうです。なるほど、「配慮」も人を選べということですな。「生徒には際限ない配慮を。納税者と教師には配慮をゼロに。」すばらしい政策です。
by wakuwaku_44 (2007-11-15 20:55) 

mai

>WAKUWAKU_44さん、東西南北さん
コメント数が多くなりましたので、この議論はここまでにしてください。さらに続けたいならば、どちらかの方のブログでお願いします。WAKUWAKU_44さん、これだけこちらで東西南北さんと議論しているのですから、「東西南北さんのブログには行かない」とか「自分のブログには東西南北さんのコメントを受け付けない」などということを言わずに、どちらかのブログで議論していただけると助かります。正直言って、お二人の友好的でなく平行線をたどる議論にうんざりしている読者の方が何人かおられます。私としても、この状態が毎回のように続くとなると、コメント削除や何らかの方法を考えないといけないと思っています。ご配慮ください。
by mai (2007-11-15 22:01) 

東西南北

 mai さんへ

 WAKUWAKU_44先生は、教育基本法復活にも自衛隊の問題でも、その他の問題でもmai さんに友好的ではないし、東西にも友好的ではないのですから、コメント削除するか、アクセス禁止にしてはどうでしょうか?彼がコメントするからコメント欄の空気が悪くなるし、不愉快の原因です。

言論内容には責任があるのであり、行動を前提しない議論は漫画です。WAKUWAKU_44先生の言論内容は大衆を抑圧するだけであり、大衆を抑圧する権力と同じですから、このブログからは排除したすることが平和になる方法です。
 
by 東西南北 (2007-11-15 23:43) 

wakuwaku_44

>WAKUWAKU_44さん、これだけこちらで東西南北さんと議論しているのですから、「東西南北さんのブログには行かない」とか「自分のブログには東西南北さんのコメントを受け付けない」などということを言わずに、どちらかのブログで議論していただけると助かります。

私が東西南北氏のブログにコメントしないのは、私のIPを見せたくないというのがひとつめの理由です。
そして、東西南北氏のコメントを受け付けないのは、東西南北氏が私を排除するためだけに、私がコメントしたブログに立ち入るということをしているからです。

>正直言って、お二人の友好的でなく平行線をたどる議論にうんざりしている読者の方が何人かおられます。私としても、この状態が毎回のように続くとなると、コメント削除や何らかの方法を考えないといけないと思っています。ご配慮ください。

大変申し訳ございません。
私は事実と異なる点は指摘する場合もありますが、ご意見については、「別角度から述べる」という次元であって、特段、何度もコメントするようなものではないと思っております。
ただ、東西南北氏が上記のコメントのように、私を排除することを目的に、私がコメントしたブログにはほとんど立ち入っている状態です。東西南北氏が、私を排除する目的でのコメントを控え、議題に沿ったコメントをしていただければ、ここまでみなさまをうんざりさせることはないだろうと思っております。
こういう東西南北氏の姿勢さえ改善されれば、ご懸念には及ばないようになると私は確信しておりますので、その点をお汲み取りいただければ幸甚に存じます。
by wakuwaku_44 (2007-11-16 02:34) 

東西南北

wakuwaku_44先生のコメントは「別角度から述べる」のではないですね。権力と財界、アメリカ政府の立場から大衆を抑圧する見地で述べるのであり、その言論内容はmaiさんや国民を抑圧する権力者の言論内容です。

 ですから、wakuwaku_44先生とmaiさんや東西は拠って立つ立場が間逆なのであり、言論内容は当然にして平行線になるのです。wakuwaku_44先生の言論内容と姿勢が変わらない限り、教育基本法の復活を望むこのブログからは排除することが平和です。

 そのためにwakuwaku_44先生には自分のブログで主張する自由があるわけです。これが表現の自由とも言えるわけですから、wakuwaku_44先生のコメントは削除するか、アク禁で問題ないですよ。

 しかも、彼は自分のIPを知られたくないと言いながら、東西のIPは知り合いに聞き出して東西のコメントを禁止して排除しております。こんな身勝手で卑劣な人物にコメントをさせる必要はないと思います。東西の個人情報を知り合いから聞き出して、自分のブログからは排除しているんです。

 
by 東西南北 (2007-11-16 02:45) 

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