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天木さん(9条ネット)を応援するわけ [9条ネット・天木直人さん]

↑にきっぱりとしたタイトルをつけてしまいましたが、政治に興味を持って日が浅い私はそんなに難しいことを書けるわけではありません。ただ、私は「教育」を目下最大の関心事としている上に、憲法については社民、共産と護憲政党があるなかで、なぜあえて天木さんを応援したくなったか、自分自身、一度はっきりさせておきたかったのです。

以前の記事にも書きましたが、私は分類すれば明らかに護憲派です(無党派リベラル)。しかしすべての条項を一字一句変えてはいけないかというと判断に迷ってしまいます。9条についても集団的自衛権や先制攻撃は絶対反対ですが、ものすごく厳密な意味での専守防衛までダメかと聞かれると返答に困ってしまいます。まだまだ自分の考えがまとまっていない面があります。

そして、憲法改正問題には9条以外にも大きな論点があることも知っています。それは例えば、基本的人権についてです。日本国憲法第13条では「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とありますが、自民党憲法草案の第13条では「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益および公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」となっています。

つまり「公共の福祉」から「公益および公の秩序に反しない限り」と変更されているわけです。どちらも同じような「公」の字が入っていますが、法学者の解釈ではこれが大違い!公益や公の秩序という字句では、法律による人権制限が容易に肯定されるおそれが少なくなく、ひいては、明治憲法における「法律の留保」のついた人権保障と同じことになってしまうおそれがあるそうです。

これは一例ですが、とにかく自民党の憲法草案を読むと、こういう復古調の文章のオンパレードです。前文を読んだだけで頭がくらくらしてきます。まだお読みでない方はぜひ一読を!

教育についても教育基本法や教育3法という国家統制的な法律が、強行採決の連続でできてしまいました。本当に何から手をつけていいのかわからないほど、問題は山積みです。前置きが長くなりましたが、そのなかで、なぜ9条ネットなのか?私が「天木さんの9条ネットを応援する」と宣言した時、夫は「9条だけと言われても、政治には多くの論点があるし・・・」といぶかしがっていました。たぶん、それが普通の反応だと思います。

それでも私は天木さんを応援したいです。最大の理由はブログを毎日読むうちに、天木さんの主張はもちろん、文章にあふれる正義感、そして直球勝負の若々しさに惚れ込んでしまったからです。そして天木さんは、外交の専門家である視点はもちろん、広く深く日本内外の政治について、明確な意見を持っておられます。その目は世界を見ています。主張内容、取り上げるテーマ、文体すべて、私と波長が合ってしまったとしか言いようがありません(天木さんと波長が合ったなどと言うのはおこがましいですが(^_^;))。サイトのトップページにはこうあります。

「休筆宣言からほぼ一年がたち、新年よりブログを再開することにした。他意はない。ただ書きたくなっただけである。特別の情報を持たない一市民でも、公開情報を少しばかり注意して読んでみると色々な事が見えてくる。それを読者と共有したい、読者がこのブログを契機に自分の考えを持つようになる、それを期待する、ただそれだけである。(中略)
 小泉政治の5年半によってこの国は壊れた。日本国民が自らの手で日本を蘇らせることは難しいと思う。ならばそれをこの目で見届けようではないか。そして一人一人が自らの人生を自衛する他はない。
 そして何時の日にかこの国が、政治家や官僚そしてそれを支える大企業の政治献金によって本当に壊される前に、羊のように従順で無力な国民も立ち上がることだろう。その時に備えて我々は日本の動きを監視し続けなければならないと思う」。

この文章にはぐっときました。天木さんのブログは文体は強気ですが、本人も何度も書いておられるように、読者の集中力を上げることを期待して、意識的にそうしておられるところがあるようです。考えの押しつけではなく「読者がこのブログを契機に自分の考えを持つようになる」ことを期待しています。また、後半部分は冷静な分析に立って、一見絶望的な状況のなかでの一つの指針を示しています。私は「小泉政治の・・・」以降の文章を読んだときから、心の支えとしています。

「日本国民が自らの手で日本を蘇らせることは難しいと思う」・・悲しいけれどそうだろう。その覚悟をするところからすべてが始まるな。「一人一人が自らの人生を自衛する他はない」・・確かに。どんな国になっても自分と家族の人生をあきらめてはいけない。自衛するのだ!「その時に備えて我々は日本の動きを監視しつづけなければならないと思う」・・たとえ自分の生きている間は悪くなる一方であっても努力は続けよう。というふうに、気分が落ち込んだ時には、彼の言葉を思い返して、噛みしめています。

そして、もう一つ大きな理由は、教育基本法以来、情報を収集していくうちに、教育問題は独立してあるわけではなく、思想統制、憲法問題、イラク派兵、対米追従、国際関係・・・といろいろなことがらがからまっていて、大きな根っこは同じところにあることに気づいたことです。

それは経済で言えば、新自由主義、市場万能主義、そしていままさに最も日本を苦しめているのが対米従属、中東やアジアに対するアメリカの前線基地化です。天木さんは先日の講演でも「個々の問題ばかり論じていても意味がない。日米関係が変わらないと解決しない」とおっしゃっています。私が最も重視している教育問題にしても、新自由主義下の経済で勝ち抜くための少数のエリート養成とその他の非正規型労働力となる人々のための教育の二極化、そして格差拡大による国民の不満を愛国心や規範で抑えるという構図になっています。そして、アメリカ軍と行動を共にするために、戦争に対する拒否感を薄めようという教育がもくろまれています。

こういう悪循環をどこで断ち切るか?その答えは一つではないかもしれませんが、私は憲法、そしてその象徴である9条を守って、アメリカの戦争に日本の若者を差し出さないというところから始めるというのは合理的な考え方に思えます。知と情。その両方の意味で、天木さんと9条ネットを応援する立場に立っています。


2007-06-21 00:45  nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 

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コメント 2

tamara

まいさん、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利について」は、「公共の福祉に反しない限り」が、自民党憲法草案では「公益および公の秩序に反しない限り」となっている・・これは本当に深い意味が隠されていますね。秩序に反するか、反さないかの判断は、国家権力がするものです。これは明らかに、国民の生命、自由、幸福の追求に国家権力が介入するということですね。権力の主体が国民から国家へと移ることになります。とんでもないですね。9条改憲は現政府の姿勢の大きな象徴だと思います。9条を変えようとしている政府のすることには、すべて反対します、と私は言いたいです。天木さんの「小泉政治の5年半によってこの国は壊れた。」というのは本当に私の今の実感と同じです。参院選、護憲派の声がしっかり届くものにしたいですね。
by tamara (2007-06-21 20:41) 

mai

タマラさん、本当に恐ろしい変更案ですね。確かに書いておられるように、公の秩序に反すると判断するのは国家ですね。国家の判断に不満ならば司法に訴えるかたちになるかもでしょうけれど、いくつかの例をみる限り、いまの日本の司法は権力から独立していないように思えてなりません。となると、やはり結局は強権的な国家主義になってしまう懸念が強いですね。私は天木さん支持の記事を書いてしまいましたが天木さんに限るという意味ではなく、一人でも多くの人が日本と世界の未来を考えて、自分の考えに一番近い政党や人物を選んでくれることを祈ってやみません。
by mai (2007-06-22 22:45) 

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