SSブログ

社民、共産、9条ネットが不振である一つの理由 [戦争と平和]

↑おおげさなタイトルをつけてしまいましたが、大した話ではありません(前もって言っておきます(^_^;))。ただ、私は「やっぱり、そうだよね」と感覚的に納得してしまったので、今日のテーマにしてみます。

新聞の読者投稿欄で見つけた投書の内容です。出産直後の30代前半の女性の文章で、おそらく真面目で善意の方なのでしょう。要旨としては、「自分たちの世代は戦争体験がなく、上の世代から話を聞く機会もほとんどなかった。子ども世代に戦争について語り継いでいかなくてはならないと思うので、戦争を体験された先輩のみなさん、戦争を知らない世代にその体験をできるだけ聞かせてください」という、しごく真っ当なものです。

ただ、細かい表現を見てみると・・・「子どもたちのためにも、平和な時代が続いてほしい・・・」とか、沖縄など戦跡を訪ねた時の感想として「今はこんなに平和なのに。なぜ戦争が起きたのだろう?」という疑問を抱いています。

そう、全体の文脈から見ても、表現から見ても、まず間違いなく「今は平和な時代なのだ」と思っているのです。そして、私のリアルの世界での感触でも、そういう感じ方は20代、30代という若い世代で、特に政治に興味が強いわけではなく、普通に市民生活を送っている人にかなり共通したもののように思えます。

インターネットでこれだけ、戦争や憲法改正が論じられていても、それとは全く関係なく「平和な時代」と思って暮らしている。私はイラク戦争に派兵した時点から(遡れば、湾岸戦争やアフガン侵攻支援も入ると思いますが)、日本は戦時中だと思うのですが、多数の人はどうもそうは思っていません。

私たちのようにブログやHPで大騒ぎしている者と、平和だと思って暮らしている人々の意識の落差は途方もなく大きいように思います。

オブラートに包んだようなマスコミの報道姿勢、教育現場での戦後史の教育不足、投書した人も書いているように戦争体験を語らない日本人の性癖など、さまざまな理由はあるでしょうけれど、根本にあるのは(偉そうな言い方になりますが)「想像力の欠如」のように感じます。

新聞をちょっと読めば、イラクやアフガンで自爆テロ等でたくさんの人が亡くなっていることは書いてあります。そして、日本が復興支援の名目で自衛隊を派遣したこと、米軍の支援をしていること、米軍は戦闘をしており、双方多数の死傷者が出ていることはわかるでしょう。

それを日本の平和問題と引き寄せて考えられない。どこか、遠い物語の世界で起こっていることのように感じてしまっているのではないでしょうか。そういう私も、イラク戦争が始まるまでは各地の内戦、難民、飢餓などのニュースを聞いても、心を痛めながらも結局は他人事のように思っていた面がありますので、いまピンと来ない人の気持ちもわかる気がします。

「いまの日本は平和だ」と思っている人が多い限り、社民、共産、9条ネットなど、いわゆる護憲政党が9条問題をいくら必死で訴えても、それは有権者の頭の上を素通りするだけになりそうです。現在起こっている戦争を自国の問題、つまり加害責任があり、さらに報復の対象になり得る大きなリスクを負っている、また財政上も大きな負担になっているという捉え方ができない限り、9条護憲や集団的自衛権、テロ特措法などの問題を多くの人と共有することは難しいような気がします。

そのために何か良い方法はないでしょうか?それとも、もしかして私の方が心配しすぎで、多数の人の見方が的確なのでしょうか。でも、米軍再編、国民保護法・・・(たくさんありすぎて挙げきれません)など一連の政治の方向、憲法問題などを知ると、到底そうは思えません。いつも頭のどこかで考えているのですが、なかなか良い案が浮かびません。


2007-08-10 23:27  nice!(0)  コメント(7)  トラックバック(1) 

nice! 0

コメント 7

志村建世

今の日本は平和ではない、という感覚は、非常に大事だと思います。戦争の当事者になりつつあるというのが実態に近いでしょう。「自衛隊 変容のゆくえ」という本はその事情を明らかにしていて、なおかつ納得できる対案を示しています。トラックバックしておきます。
by 志村建世 (2007-08-11 23:11) 

mai

志村さん、いつもありがとうございます。「戦争の当事者になりつつある」というのは、その通りですね。その感覚を国民の多数が持つことができた時、日本の方向を変えることができると思うのですが、私たちの力でどう伝えていけばいいのでしょうか。取りあえず、気づいた者がまだ知らない人に話していくことかもしれないと思っています。私のブログは他からのTBが通らないことがよくあるみたいで、ご迷惑をかけているかもしれません。私からもTBさせてください。
by mai (2007-08-13 10:38) 

ボリシビキ(S)

社会通信の記事「9条問題・・・それは有権者の頭の上を素通りするだけになりそうです・・」を読んで同感です、私は民主党支持ではありませんが、現代資本主義の労:資(資本家0.4%・労働者70%)の、最大の焦点は何か、多くの中小資本家にとっては生産の縮小です、労働者にとっては貧困や労働苦や低賃金や合理化問題だと思います。ここを離れて9条は、やはり丹頂鶴的になるのではないでしょうか?。
by ボリシビキ(S) (2007-08-25 05:23) 

mai

ボリシビキ(S)さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
ブログ拝見しました。私にとって経済学は全くの専門外で、少し勉強を始めたもののまだ初歩の初歩という状態なのですが、多くの労働者にとって「実感として日々の生活が苦しい」ということが大問題なのでしょうね。今朝の新聞には格差拡大の記事も出ていました。またそういう方面についても教えてください。
by mai (2007-08-25 20:35) 

wakuwaku_44

ブログ主さん、その他の皆さんへ。

私は共産党、社民党、9条ネット、公明党いずれにも投票したことがない人ですが、特に9条ネットについて言いたいことがあります。


いわゆる「護憲派」の失敗は、「護憲にこだわりすぎている」という点です。

現実としては、北朝鮮の核やミサイルといった問題があります。
こういう目の前の恐怖があるときに、漠然とした理想を掲げられても、ほとんどの人は共感をすることはない。
目の前に包丁やピストルを突きつけられているのに「話し合いで解決しよう」と言ってるのと同じだと思えばお分かりになるかと思います。
こういう戦いになると、「ほんとに大丈夫なのか」という安心感がないので、現実論を提示している方が強いのです。


そこで、「どんな世界観を見せるのか」ということがポイントとなってくると思います。
理想を掲げ、そこに至るプロセスを見せて、それが決して夢物語ではないこと。もっといえば「改憲派」にも「なるほど、こういう考えもあるのか」と肯定されるための『物語』をつくることが必要になると考えます。

そして「9条護憲」は、最後に提示すること。

できれば、「この理想が達成できるなら、憲法を変えてもかまわない」ぐらいの気持ちでいる方がベストです。
結局、「何を求めて護憲なのか」ということを、現実を踏まえた上でしっかりと提示する方が、より共感を得られるんじゃないかなって思いますね。
by wakuwaku_44 (2007-08-31 16:30) 

mai

WAKUWAKU 44さん、コメントありがとうございます。
WAKUWAKUさんの考えておられる意味とはちょっと違うかもしれませんが、9条ネットから立候補した当の天木直人さんも「護憲にこだわりすぎる」ことについて、何度か書いておられます。

例えば昨日のブログでは、
「(人名)は護憲と日米同盟反対を表裏一体としてとらえている。それが一般的な受けとめ方であろう。(中略)
  しかし、そのような国民の意識を変え、平和な日本を実現したいと、護憲政党が本気で考えているのなら、この二つを政策課題として分離し、戦略を見なおす努力をしなければならない。今までのように護憲や平和を叫ぶ事に終始するのではなく、日米軍事同盟の矛盾を国民に分からせる努力にシフトし、全力をかけてその作業に取り組まなければならないのだ」
 天木さんと実際にお話しした時も感じたのですが、彼はもちろん護憲の立場ですが、胸の奥にあって本当に言いたいことは「日米関係を健全化する」ということです。ただ、(これはマスコミの不作為の罪が大きいと思いますが)それでは多くの人に到底伝わらない。そこで、シンボル的な意味をこめて「9条」を表に出していると思いました(残念ながら、その方法では成功しませんでしたが)。

津久井さんのブログでも書きましたように、私は「安全保障には100%安心ということはない。それぞれの事項のリスクの高さと影響の大きさを評価して、日本と世界の人々が一番平和になれる確率の高い道を選ぶべきだ」という考え方です。

確かに北朝鮮のミサイルについて非常に脅威に感じている人はかなりいますね。現に私の友人(ごく普通の無党派です)でも、とてもこわがっている人がいます。

もちろん、北朝鮮が自暴自棄になって暴発する可能性はゼロとは言いません。ミサイルなんてものが、近隣諸国から日本に向けられているというのは心穏やかにいられない状況だとは思います。ただ、全体のバランスで考えたとき、北朝鮮が日本をミサイル攻撃する可能性が高いか?と言えば、そうは思いません。軍備全体としては日本の自衛隊ですら北朝鮮の何倍もありますし、「国力」でも比較になりません。ちょっと飛躍した例えかもしれませんが、北朝鮮の相対的な国力は、第二次世界大戦末期の日本と同様の位置にあるでしょう。

「北朝鮮がもし日本に向けてミサイル攻撃すれば、その何十倍、何百倍もの反撃をされ(注:主にアメリカからだと思いますが)、壊滅させられることになるでしょう」という文を読みましたが、これは当たっていると思います。つまり、全滅するくらいの覚悟がないと攻撃できないでしょう。

さらに、アメリカは(出典忘れましたが)「当面、極東アジアにおける軍事的脅威は存在しない」と書いているそうですね。

それよりも、国民が十分に気づかないうちに真綿で首を締めるように、次々と要求をエスカレートし、莫大な資金を日本から出させて、今後の方向によっては日本の若者の人命までも危険にさらそうとしている米国の動きの方が、何倍も危険だと思います(もちろん、北朝鮮を放置しておいて良いという意味ではありませんよ)。それが一般国民に十分に伝わらず、北朝鮮や中国の「脅威」がメディアで強調されている状況が、私にはたいへん危ういものに見えます。

WAKUWAKUさんがおっしゃる、「どんな世界観を見せるのかがポイント」というお考えには賛成です。9条ネットの運動をしてみて、「私たちの政策が実現すれば、こんな社会ができますよ」という展望を示す力が弱かったと感じています。

護憲は手段であって、目的ではない・・・ということですね。その旨、賛成です。
by mai (2007-09-03 10:22) 

wakuwaku_44

北朝鮮に関する分析は、私もほぼ意見を同じにしておりますが、ただ、戦争は国力の差のみで勃発するものではないので、私は軍事力の整備も必要だと考えております。

ただ、国の基本法に軍の設置目的と権限を明確にしない場合、結局「9条の解釈」による軍の設置と行動になります。
「前項の目的を達するため」ということで、自衛隊が合憲とされただけでなく「国権の発動たる~」という文言で「国連の活動ならばOK」という解釈もされた以上、私は9条は、逆に「戦争を防げる条文ではない」とさえ思っています。

そうであれば、現実は現実として冷徹に対処しなければならないので、軍事力は保有するが、しかし明文規定により「これ以外の解釈のしようがない」という『改憲』の方が危険性がないと思っているわけです。(「前項の目的を達するため、徴兵制はしない」よりも「徴兵はこれを認めない」の方が確実だ、とか、そういうことです。)

まぁ、これは見解の相違ですから、私の意見を押し付ける気はありませんし、私のこの見解も変わることはありますので、「こういう意見もあるんだな」ぐらいにお聞きいただければいいんですが。(笑)

今は、「あのとき、これだけ立派な理想を掲げ、それを条文化したはいいけど、ちょっと無理だったなぁ。」という状態だと思います。
従って「9条の精神に向かって進むという理念と精神を促進しつつ、今は一歩後退だけど、現実にも対応できるようにしよう。」というのが私の考えです。
とはいうものの、私の案は「後退」ですから、これをずるずる後退させたままではいけません。改憲するにしても「これは絶対に譲れない、拡大解釈は絶対にさせない。」ということが必要になりますし、今以上に「9条の精神」を国の内外の国民に啓発していかねばならない。もっと積極的に動かないといけなくなります。

最も怖いのは「こんなの、現実的には守れないよ」と国民が腹の中で思うことです。こうなると『実質改憲』が進んでしまい、9条の精神すら破壊されてしまいます。
ゆえに「これなら現実的に守れる」というものでなければならない。
しかし、その中にも「でも、あの9条の精神を実現できるようにしていきたい」ということを日本国民の総意とし、それに反する思想を徹底的に排除していくこともまた必要になります。

民主主義の世の中というのは、国民自身に「覚悟と努力」が求められます。護憲も改憲も、私は「甘すぎる」と考えています。私の改憲論は、国民に「ここまで覚悟し、考えないといけないのか」という厳しいものですが、これが実現されたとき、他の政治問題も解決できるんじゃないかと思います。
(少なくとも「オラが村の先生」とか「あの有名人」意識での投票はなくなる、という意味です。)
by wakuwaku_44 (2007-09-04 12:18) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証: 下の画像に表示されている文字を入力してください。

 

このブログの更新情報が届きます

すでにブログをお持ちの方は[こちら]


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。