松岡さんの自殺について [政治の不思議]
まず、ご冥福をお祈りします。
新聞などで取り沙汰されている話題のなかで、私は「政治とカネ」については関心が高い事柄ではなく(大事なことだとは思いますが、私の力ですべての分野を追うことはムリなので)、松岡さんの問題についてもあまり詳しくはありません。その上での感想です。
逃げることはできなかったのでしょうか?本人にも家族にとっても、死ぬよりは辞任する方がずっと良かっただろうに。たとえ証人喚問等受けても、謝り続ける人生であっても生きていてほしかった。ただ、医学的にみてうつ状態に陥っていた場合には、そういう理性的な考え方は通じません。もう本当に「死ぬしかない」と思い詰めて、発作的に実行してしまいます。残念ですが、それは防ぐことは難しいのです。周りの人が愛情を持ってその時期を乗り越えるように目を離さないようにしてあげる、または入院しなど自殺できない状況においてあげることが必要になります。
ここまでは、松岡さん本人についての簡単な考察ですが、背景には安倍内閣の体制があるのではと考えてしまいます。ここからは、友人へのメールに書いたことの再掲になりますが(二度読まされるhmさん、ごめんなさい)、安倍氏の「美しい国」構想では国民一人ひとりの笑顔が全然見えてきません。規範、道徳心など、個人のありようにばかり問題を帰結させて、結果としてかたちだけ整えて、表向きさえ規範に従えという国家を作ろうとしているように思えます。
例えば、新教育基本法の第二条だけでも「国を愛する態度」のほかに、「真理を求める態度(これはまあ、いい方ですが)」「職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んじる態度」「主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度」「環境の保全に寄与する態度」と、「態度」が5カ所も使われています。ちなみに、47年法の第二条(教育の方針)では態度は1カ所もありません。態度、態度、態度のオンパレードです。こころのなかがどうであっても、表に向かっては「良い子」であれと言っています。これでは、まともな批判精神の持ち主ならば、自分の本心と求められる態度との間に分裂を起こして、ものすごいストレスを感じるのではないでしょうか。
松岡さんのことから、ずいぶん話題が飛躍しましたが、そういう国では安倍氏の仲間であっても、心豊かに暮らすことは難しいと思います。どんな態度であるのか、常に他人の目を意識して自己点検し調整しなくてはならないわけですから。松岡さんの自殺、早くもその歪みが出たと見るのは穿ちすぎでしょうか。
同感です。
鈴木宗男氏、松岡氏に「おわび勧めた」とHPに記す
http://www.asahi.com/politics/update/0529/TKY200705280494.html
このニュースに松岡氏の心中も一部吐露されています。貴重なニュースだとおもいます。
by hm (2007-05-29 11:52)
亡くなってしまった人の事について、何か述べるというのは、気が重いのですが・・・
政治の世界では、個人の考えや行動に、組織への忠義が大きな圧力になっているのではないかと思います。日本の社会は、同期だの、先輩後輩だの、身内だのと、何かと仲間を増やしたがる傾向が強いように思えてなりません。そのため、悪いこともかばい合ったりして、あげくにはその重圧(組織)につぶされてしまうこともあるのでは、と感じています。
by tamara (2007-05-29 22:26)
>hmさん
記事の紹介ありがとうございます。読んでいてやるせなくなりました。
組織の論理というか、ことに政治の世界は素人にはうかがいしれないものがあるとは思いますが、「そこまで言ってくれるのは鈴木先生だけだよ」という言葉に、松岡さんが精神的に孤立を深めていたことがうかがわれます。
>tamaraさん
そうですね。自民にも民主にも本当は教育基本法「改正」反対や改憲反対の方もおられるでしょう(民主のある議員秘書さんからは、お電話で直に教基法改正反対(民主党案も)と聞きました)。でも、それが声としては出てこないですね。党議拘束や国対からの指示・・そこまで厳しいものなのでしょうか。組織の重圧というのが、本当のところかもしれませんね。
by mai (2007-05-30 16:00)