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学校の先生方の過重労働について [学校と子ども]

昨日の朝日新聞に、着任したばかりの若い先生が2カ月で自殺されたという記事がありました。読まれた方も多いと思いますが、ここに再掲します。
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夢見た教壇2カ月 彼女は命を絶った 23歳教諭の苦悩
2007年10月09日18時05分

 東京都新宿区立小学校の新任の女性教諭(当時23)が昨年6月、自ら命を絶った。念願がかなって教壇に立ち、わずか2カ月後に、なぜ死に至ったのか。両親や学校関係者に取材すると、校内での支援が十分とはいえないなか、仕事に追われ、保護者の苦情に悩んでいた姿が見えてくる。

 母(55)がメモ帳に書かれた遺書を見つけたのは、死去から2カ月たった昨年8月のことだ。「無責任な私をお許し下さい。全て私の無能さが原因です」。「無責任じゃない。責任を果たそうとしたから倒れたのに」と父(55)。やりきれない思いがこみあげた。

 高校時代から教師を目指した娘が小学2年生の担任としてスタートを切ったのは、その年の春。

 この学校は各学年1学級だけで同学年に他に担任がおらず、授業の進め方の直接の手本がなかった。しかも、前年度10人いた教員のうち5人が異動していた。「家庭の事情など本人の希望などを尊重した」と区教委は言うが、「校長の経営方針に反対して異動を希望した教員も多かった」と学校関係者。「新学期のうえに教職員が入れ替わったせいで、ゆとりがなかった」と関係者は語る。

 娘がまず提出を求められたのは食育指導計画、公開授業指導案、 キャリアプラン……。
離れて住んでいた父は娘と電話で話していて「追いまくられてると感じた」。
午前1時過ぎまで授業準備でパソコンに向かい、そのままソファで眠る日が続く姿を姉が見ていた。

 娘は姉や祖母に「保護者からクレームが来ちゃった」と話してもいた。

 区教委によると、ある保護者が4月中旬以降、連絡帳で次々苦情を寄せた。「子どものけんかで授業がつぶれているが心配」「下校時間が守られていない」「結婚や子育てをしていないので経験が乏しいのでは」。校長がこれを知ったのは5月下旬だった。「ご両親が連絡帳の文面を見たらショックを受けるかもと区教委から言われた」と父。

 他の保護者たちも校長室を訪ね、「子どもがもめても注意しない。前の担任なら注意した」などと訴えていたという。

 娘は5月26日に友人と会ったとき、「ふがいない」「やってもやっても追いつかない」と漏らした。その翌日、自宅で自殺を図ったが、未遂となった。

 母が急いで精神科を受診させたところ、抑うつ状態と診断された。魂の抜け殻のようで声が出ない。娘は言った。「ひどい」。しばらくして「あたし」。

 自宅の風呂場で自殺を図ったのは、その2日後の夜だった。翌6月1日朝、病院で亡くなった。

 「大学時代、小学校で先生の補助をし、笑顔の絶えなかった娘が、どうして……」。両親は写真に問い続けた。

 団塊の世代の退職を受け、各地で新人が次々採用されるなか、埼玉や静岡などで自殺が起きていたことも改めて知った。

 亡くなって5カ月後の10月下旬、地方公務員災害補償基金東京都支部に対し、公務上災害の認定を申請した。「声を上げないとさらに亡くなる人が出てしまうかもと思うと、いてもたってもいられなかった」と母は話す。

 今春、2人は都公立小学校長会に手紙を出した。その一節にはこう書かれていた。

 「若い先生方への心と身体へのサポート体制を学校全体として作り上げていただきたい。そして若い先生方に、いつまでも夢を追い続けていただきたいとの一念です」
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23歳まで立派に成長した娘さんが仕事が原因で自ら命を絶ってしまう。本人はもちろんご家族はどれほど無念だったことでしょう。私の子どもが将来そんなことになったら、親として生きていられないくらい打撃を受けるでしょう。

記事中に記されている先生方の多忙化。ほとんど意味のない書類仕事に追われて、日付の変わるまで仕事をしている。そういう実態はリアルでもネットでもたくさん聞きました。子どもと接する先生から心の余裕が奪われ、心身ともに疲労困憊している。そういう状況で良い教育ができるでしょうか?先生方の健康はもちろん心配ですし、教育としてのあり方にもたいへん疑問を感じます。

なお、記事中の保護者からのクレームについては、そういう事実はあったのでしょうけれど、私のなかでは括弧付きで捉えています。というのは、この1年間、教育についてたくさんの報道に接した結果、当初は「ダメ教師」「指導力不足の教員」など教師へのバッシングの論調が強く、それが一段落?(やるだけやった)したあとは、「給食費を払わない親(←たった1%くらいの人のことをおおげさに報道)」「モンスター・ペアレンツ」など今度は保護者叩きの記事が目立ち、先生方と保護者(国民)とを分断させるような報道の意図を感じるからです。そのへんは読者が自分の見識をきちんと持って判断しなくてはならないと思います。

ところで、私はいま、フィンランドについての本を読んでいます。

フィンランドという生き方

フィンランドという生き方

  • 作者: 目莞 ゆみ
  • 出版社/メーカー: フィルムアート社
  • 発売日: 2005/11
  • メディア: 単行本

日常生活、食事(レシピつき)、森の様子など、フィンランド全体について紹介されている本なのですが、そのなかで教育についての章から先生方の生活についての記述がありましたので引用します。

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勤務についていうと、日本では教員の勤務は、8時半から5時15分までだが、勤務外にときには6、7時頃までクラブ活動を指導し、休日も部活の試合に生徒を引率する。フィンランドの教員の勤務時間は午前8時から午後4時まで。部活をみないし、帰宅時間も早く、家族と過ごす時間が長い。

6月中旬、生徒たちが夏休みに入ると、教員の夏休みが、そのほぼ1週間後に始まり、8月の2週に秋学期が始業するまで時間を自由に使える。夏季休業に入ると多くの教員が国外へ旅行し、セミナーに参加したり、家や部屋を借りて家族で外国暮らしを体験する。夏季休業中にアルバイトをする教員もいるが、とくに制約はない。教員の余暇の使い方や自己研修の自由度の高さが資質を向上させているといえないだろうか。そしてその精神的余裕が生徒に向いて教育効果を上げている。夏休み明けは、第二週の火曜日に子どもたちが新学期に登校する前日の月曜に教員が出勤して、職員会議をするのがフィンランドでは普通である。まとまった長期休業があって羨ましいが、フィンランドの教員の給料は安い。
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そのあと、給料の具体的な数字が挙げてあり、「教員になるには、長い在学期間をかけて修得する高い教育が要求されるのに、給料は安い。しかし、教員は尊敬されているので、教員になりたいという希望者が多く、教員を希望する人数の70%が教員になっている」と結ばれています。

たまたまフィンランドの本を読んでいたのでその例を挙げましたが、日本とフィンランドの教育現場の現状、どちらが豊かだと思いますか?私は間違いなくフィンランドだと感じました。現場の裁量権が広いこと、先生方に時間的・精神的ゆとりがあること。それは教育で欠かせない条件だと思います。


2007-10-10 09:52  nice!(1)  コメント(5)  トラックバック(0) 

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コメント 5

tamara

まいさん、TBありがとうございます。学校の話になると書かずにはおれません。身近なところでも同様な話が多いのです。側にいて何とかしてやりたかった・・とつい思ってしまうのです。一日が、休憩時間もなく、しかも長時間という勤務状態なので、一日の終わりには心身ともに疲れ切っていて疲労が抜けないまま翌日になるのです。常にめいっぱい重圧を感じているため、何かちょっとしたきっかけで崩れ落ちてしまうのは容易に想像できます。
保護者のクレームなど学校には(どこでもそうでしょうが)よくあることで、それが問題というより、教員の余裕のなさが最大の原因だと思います。疲れ切った状態で子供たちに何かを発信し、伝えるということは非常に困難です。
by tamara (2007-10-10 10:30) 

wakuwaku_44

痛ましいですね。

入って2ヶ月というのは、どんな職業であっても、どんなに有能な人であっても、そもそも仕事に慣れていないだけでなく、学生生活とのギャップもあり、本人には余裕がない、非常に苦しい時期です。

しかし、最初はそんな状態であっても、通常ならば半年や1年で、別に有能でなくても、それを乗り越えて「あんなときもあったな」というようになるものです。第一、「たった2ヶ月」で死に追いやるどころか鬱病にまで追い込まれることの方が「考えられない」のであって、それだけこの事件は重大なものだと思います。

それと、maiさんにもtamaraさんにも思い起こしていただきたいのですが、かつては45人学級で、しかも「学級崩壊」はないものの「校内暴力」や「不良」が大問題となっており、当時もまた、入って間もない若い教師にとっては、とてつもない負担があったはずです。第一次ベビーブーム時代は、一人の教師が50人60人の生徒を担任した上で、やはり「バンカラ」とかのブームでしたから、これもまた負担がものすごく大きかったと思います。

にも関わらず、こうした事件が「今現在」生じてしまったわけです。しかも「たった2ヶ月」で。普通に考えれば考えるほど「なぜ?」と言わざるをえない。そこまで深刻な事態なのですから、あらゆる問題を一度掘り起こして、その具体的な解決プロセスを、国や地方自治体、教育団体、地域社会と子どもたちで、それこそ「国家的に」取り組まないといけないと思いますね。
by wakuwaku_44 (2007-10-10 12:39) 

mai

>tamaraさんの2連作、迫力満点です。記事に書かれていたプチ○○の存在の多さは、この1年間動いてみて、イヤというほど感じました。そんななかで、先生方はたいへんすぎます!せめて、いますぐ15年前の教育現場のゆとりくらいに戻ってほしいです。
by mai (2007-10-12 16:47) 

mai

>WAKUWAKU_44さん
コメントありがとうございます。WAKUWAKU_44さんと私の国家観はかなり違うようなので「国家的に」の意味も微妙に異なるのかもしれませんが(^_^;)、いますぐ取り組まなければならない問題であることは確かですね。

東京都では職員会議で採決をすることを禁止されたという噂も聞きます。先生同士、オープンに話し合ったり、先輩が後輩にアドバイスする雰囲気ではないように感じます。それ以前にベテランの先生でもいっぱいいっぱいで過ごしておられるようです。

学校の先生方に限らず、医師、看護師、介護士さんなど、人の命と心に直接関わる仕事の方々の待遇改善は緊急の課題でしょう。
by mai (2007-10-12 17:09) 

wakuwaku_44

>WAKUWAKU_44さんと私の国家観はかなり違うようなので「国家的に」の意味も微妙に異なるのかもしれませんが

あまり難しく考えることはないと思いますよ。
私の「国家」というのは、ものすごく漠然としていますから。おそらく、maiさんよりも漠然としてて、しかもあまり考えてないのかも知れませんけどね。

別の言葉では「ふるさと」「国」「社会」、なんでもいいんですけど、「国としても全力で最優先で取り組む」という意味合いがあると思っていただければいいかと思います。
by wakuwaku_44 (2007-10-12 18:01) 

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