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安倍改憲は「自主」なのか(転載です) [憲法について]

私は時々、ネットに向かったもののブログを書くほどの時間がない時や気分がいまいち乗らないときには、いつも訪問させていただくブログからTBをたどって、見知らぬ方のブログを読ませていただいています。今日は、そのなかから、とても共感を覚えた憲法論を紹介します。

「志村 建世のブログ」の6月15日のエントリーです。
岸田秀氏は以前、著書を読んだこともありますが、いまこういう発言をされていることを初めて知りました。心理学者からみた憲法論という点で興味深いです。以下、志村さんのブログからの転載です。

安倍改憲は「自主」なのか
このタイトルは、昨日の朝日新聞朝刊の文化面に出ていたものです。論者は心理学者・評論家の岸田秀氏で、私と同じ1933年生まれということです。副題は「米に隷属する現状直視を」となっていました。岸田氏の分析によれば、外国を崇拝する「外的自己」と、誇大妄想的な「内的自己」との葛藤や交代として、日本の歴史を説明できるということです。玉砕や特攻隊でアメリカに抵抗したのが「内的自己」の発露であり、降伏して平和憲法を受け入れたのが「外的自己」への転向ということになります。この結果、戦ったのは軍国主義の狂気に強制されたのであって、日米友好こそが本来の正しい日本だということになりました。

 しかし内的自己は抑圧されただけで、消滅したわけではありません。日本がいまだに事実上アメリカ軍に占領されたままであり、外交や経済政策でも決して対等にはなれない状況の中で、抑圧された自尊心はつねに傷つき疼いています。内的自己を発揮しようとしても、牛肉の規制ぐらいの抵抗しかできないのが現状です。この状況の中で「自主憲法」を制定して第9条の歯止めを外してみても、それはアメリカが決めた戦争で、世界のどこへでも出て行くことにしかならないのではないか。つまり今の憲法以上に、アメリカから押し付けられた憲法になってしまうではないかと、岸田氏は危惧しているのです。
 それではどうすべきなのか。「この現状だって永久不変ではないから、いつかは変わる。その日を待って辛抱強く臥薪嘗胆の日々を送るしかない。」そして「対等とか自主とかの言葉でごまかして、日本の隷属的な立場から目を逸らすべきではない。」と岸田氏は説いています。
 そして最後は私の意見です。「アメリカから押し付けられた憲法」を逆手にとって、アメリカに抵抗する武器にすることが、今ならできます。それを貫いた方が、むしろ「自主と対等」に近いのではありませんか。そして辛抱強く国際情勢の変化を待てば、軍縮と平和のリーダーとして、日本が本当の自立独立を果たせる時が来るような気がするのです。そのとき初めて「内的自己」と「外的自己」との相克は、終るのではないでしょうか。


2007-06-18 00:09  nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(1) 

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コメント 2

志村建世

転載ありがとうございました。まじめなご努力に敬意を表します。私もネツト上の対話で多くのことを学んでいます。これからもよろしくお願いいたします。
by 志村建世 (2007-06-18 14:20) 

mai

こちらこそありがとうございます。TBもありがとうございます。志村さんの記事はご自分で書いておられたように、分量がちょうど一画面ですごく良くまとまっておられますね。また転載等、お願いすると思いますが、よろしくお願いします。
by mai (2007-06-18 20:32) 

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